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欧米の中国侵略 1 ロシアの東方進出とネルチンスク条約、清朝の衰退 |
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著作名:
ピアソラ
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ロシアの前身だったモスクワ大公国の雷帝イヴァン4世(在位1533〜1584)は、専制君主体制のツァーリズムを開始するとともに、コサックの族長 イェルマークを指名し、東方のシベリアを探検させました。
シベリアとは、ウラル山脈より東の太平洋地域までの広大な地域を指します。かつてこの地域に存在したシビル=ハン国がその語源です。この東方進出の最初の動機は、良質な毛皮を求めて行われました。
その後ロマノフ朝の時代になると、ロシアはバイカル湖畔のイルクーツクなどの都市を建設しながら、17世紀前半に太平洋沿岸部を含む広大な領土を得ます。
太平洋沿岸部まで到達したあと、ロシアは続けてシベリアから南下し、中国の領土に進出しようとします。
当時の中国王朝は清王朝で、黒竜江(アムール川)以北からモンゴル高原にかけて、広大な領土を支配下に置いていました。
ロシアと清は衝突するようになったため、1689年、両国はネルチンスク条約を結びます。これは、清が対等な立場で外国と結んだ最初の条約となりました。
ネルチンスク条約により、スタノヴォイ山脈(外興安嶺)からアルグン川が正式な国境線となり、黒竜江地域は清の領土となります。
ネルチンスク条約締結時、ロシアはピョートル1世、清は康煕帝の治世でした。
その後、1727年にはモンゴル方面の国境と通商問題に対応するためのキャフタ条約が結ばれ、アルグン川からアルタイ山脈のモンゴル地方の国境線と、国境沿いにロシア側のキャフタと清側の買売城に交易所を設け、両国の貿易が活発化します。
ネルチンスク条約締結時、ロシアはエカチェリーナ1世、清は雍正帝の治世でした。
清朝(1616〜1912)は開祖ヌルハチにより中国の東北地方からおこった女真族の王朝で、第4代康煕帝(在位1661〜1722)、第5代雍正帝(在位1722〜1735)、第6代乾隆帝(在位1735〜1795)の皇帝たちにより全盛期となりました。
ところが、18世紀後半から19世紀になると、清朝は次第に衰退していきます。
18世紀後半、清はチベットやジュンガル部などへの外征を積極的に行い、巨額の軍事費が財政を圧迫しました。この他にも、官僚の腐敗や、支配層(官僚・地主・富裕層)への富の集中と農民の困窮化により、貧富の格差が急速に拡大しました。
当時清朝の発展とともに、人口増加が起こっており、土地や食料の不足が深刻化し、民衆は非常に苦しい生活を強いられるようになっていました。
民衆は、郷紳という地方の指導者に率いられながら、抗租・抗糧という経済闘争を行いますが、状況を好転させるほどの効果はありませんでした。
中国における郷紳とは、科挙に合格したものの中央に行かず地方に残ったエリートのことです。彼らは地方の有力者となり、政治的・社会的に大きな力を持っていました。この時行われた抗租は、地主に対する小作料の減免、抗糧は国家に対する納税拒否運動でした。
こうした社会不安の増大とともに、各地で秘密結社の活動が活発になります。
1796年から1804年にかけて、白蓮教という秘密結社が白蓮教徒の乱を起こし、湖北・四川省を中心に10年近く反乱が続きました。
清朝はこの反乱に対し非常に苦しみ、平定に長い歳月を費やすことになります。
八旗や緑営といった清朝の正規軍は反乱に対応できないほど弱体化し、反乱の平定には郷勇と言われる各地の地方自衛軍に頼らなければならない状況でした。
1813年には平定したはずの白蓮教徒の一派である天理教徒の乱が起こり、北京の紫禁城に一時的に乱入する事件がおこります。
こうして、さまざまな要因により清の国力の衰えが露呈していき、その後欧米による中国侵略の原因になっていきます。
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