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欧米の中国侵略 6 洋務運動、明治維新、朝鮮の開国、日清戦争 |
著作名:
ピアソラ
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太平天国の乱以後の清朝
アヘン戦争、アロー戦争、太平天国の乱など、度重なる危機を乗り越えた清朝は、1860年以降、安定期に入ります。
アロー戦争が終わった後の清朝では、第10代皇帝同治帝(在位1861~1875)の治世でした。同治帝は即位時幼かったため、叔父の恭親王奕訢が宮廷の中心となり、今までの外国勢力の排除という立場からの転換を目指しました。
同治帝は、先代の咸豊帝と側室の西太后の間に生まれました。恭親王奕訢(きょうしんのうえききん)は同治帝の父咸豊帝の弟にあたり、アロー戦争の際咸豊帝が死去すると、西太后とともに政治の実権を握ります。
洋務運動と同治の中興
1860年以降、西洋の文化や軍事技術を積極的に取り入れ富国強兵を図る政策が始まります。
これを洋務運動といい、「中体西用」の精神に基づいて行われました。
この「中体西用」とは、清朝の君主独裁体制を維持しつつ、儒学を中心とする中国の伝統的思想や学問をベースに、西洋の文化や軍事技術を利用するというものでした。
洋務運動は、洋務派と呼ばれ太平天国の平定に活躍した曾国藩・李鴻章・左宗棠や張之洞などの漢人官僚たちによって行われ、軍需産業を中心とした工場建設、北洋艦隊など海軍の創設、鉱山開発、鉄道敷設、外国語学校の設立などが進められました。
この洋務運動が推進された同治帝の治世では、列強の侵略も収まり、一時的な相対安定期となり、これを同治の中興といいます。
洋務運動の挫折
洋務運動は中国の富国強兵を目指して行われましたが、新しい産業の取り入れは国家主導で行われ、国営企業はさまざまな独占権を得たため、民間企業の成長が阻害されてしまいました。
また、こうした国営企業は国家の高級官僚との結びつきを強め、次第に私的に富を蓄財する官僚も出てきたため、洋務運動は十分な成果を上げることができませんでした。
日本の開国
中国と同様に、19世紀になると鎖国を続けていた日本の江戸幕府にも開国要求が迫られるようになりました。
1853年、アメリカ艦隊の黒船が浦賀に来航し、艦隊を率いてたペリーにより日本の開港が求められます。
(黒船来航)
翌年1854年には、下田・箱館(のちの函館)の開港と最恵国待遇を認める日米和親条約が結ばれ、日本の鎖国体制は崩壊しました。
その後、アメリカ総領事ハリスが将軍に謁見し更なる開国要求をしたため、アロー戦争の情勢に衝撃を受けた江戸幕府は、大老井伊直弼を中心とし1858年に日米修好通商条約を締結しました。神奈川・兵庫・新潟・長崎の開港と自由貿易、領事裁判権、関税自主権の放棄を認めた不平等条約で、その後同じ内容の条約(安政の5カ国条約)をオランダ・ロシア・イギリス・フランスとも締結します。
明治維新
1867年、将軍徳川慶喜が政権を朝廷に返す大政奉還が起こり、翌年1868年に明治維新によって江戸幕府が崩壊し明治政府が成立します。
新政府は、西洋文明を積極的に受容し、政治・経済・軍事・教育などあらゆる分野において改革を行い、殖産興業を掲げて工業発展を目指しました。
対外的には、1874年に台湾出兵、1875年に樺太・千島交換条約をロシアと結び、1879年琉球を沖縄県に改めるなど、日本は次第に領土拡大を目指していきます。
朝鮮の開国
17世紀以降、宗主国の清の属国であった李氏朝鮮では、19世紀に入り政治闘争や貧富の拡大、災害などにより社会不安が高まっていました。
1860年代になると、列強の開国要求が強まりますが、朝廷の実権者大院君がこれを拒否し続けました。
その後明治維新を経て成立した日本の新政府も朝鮮の開国を迫るようになり、西郷隆盛や板垣退助などによる征韓論もおこりました。
1875年の江華島事件を機に日本が圧力を強め、翌年日朝修好条規を結び、釜山・仁川・元山の開港、領事裁判権、無関税特権などの不平等条約を認めさせました。
日清戦争と清の衰退
日朝修好条規の締結は、李氏朝鮮の宗主国だった清朝にも動揺をあたえたため、これ以降、李鴻章などの政治家により、朝鮮の干渉政策が進められます。
その後、朝鮮では政治動乱が激化するとともに、日本と清朝の対立も深まっていきました。
1894年、朝鮮王朝末期に東学党という宗教組織の信徒が中心となり、甲午農民戦争が起こると、朝鮮王朝は清朝に軍隊を要請し、日本も在朝日本人保護を口実に出兵しました。
日本が甲午農民戦争の徹底的な鎮圧を要求したのに対し、清朝軍がこれを拒否すると、同年7月に日本軍は清朝軍を攻撃し、日清戦争が勃発しました。
(日清戦争)
日清戦争は朝鮮支配をめぐって開戦し、明治維新以降近代化を進めていた日本軍が勝利します。
終戦後、日本全権伊藤博文・陸奥宗光と、中国全権李鴻章の間に下関条約が結ばれ、朝鮮の独立(清は宗主国の立場を放棄)、台湾・澎湖諸島・遼東半島割譲、2億両の賠償金、重慶・杭州・蘇州・沙市の開港、日本の最恵国待遇などが決められました。
遼東半島は、1895年にロシア・ドイツ・フランスの三国干渉により、3000万両の賠償金と引き換えに清に返還されます。
日清戦争の結果、それまで「眠れる獅子」として潜在的な力を恐れられていた清朝が小国日本に負けたことで、中国の侵略は激しさを増していきます。
(小国日本と中国を表す当時の風刺画)
また、中体西用のスローガンのもと進められていた洋務運動は完全に失敗し、その後清朝そのものを含めた変革を求める変法運動がおこるようになっていきます。
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