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18_80 ヨーロッパ世界の形成と変動 / 西ヨーロッパ世界の成立

スラヴ人とは わかりやすい世界史用語1415

著者名: ピアソラ
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スラヴ人とは

スラヴ人の歴史は、古代から現代にかけての多様な文化、社会、政治の変遷を含む非常に豊かな物語です。スラヴ人はインド・ヨーロッパ語族に属し、主に東ヨーロッパと中央ヨーロッパに広がっています。

スラヴ人の起源は、紀元前6世紀頃に現在のウクライナやポーランド地域にあったと考えられています。彼らは農業を基盤とした生活を送り、ゲルマン人やフィン・ウゴル系民族との接触を通じて文化を発展させました。スラヴ語族は大きく三つのグループに分けられます:西スラヴ語(ポーランド人、チェコ人、スロバキア人など)、南スラヴ語(セルビア人、クロアチア人、ブルガリア人など)、東スラヴ語(ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人など)です。

7世紀から9世紀にかけて、スラヴ民族は急速に拡大し、多くの部族が形成されました。この時期には、ビザンツ帝国やフランク王国との接触が増え、宗教的・文化的な影響を受けるようになります。特に9世紀にはキリスト教が広まり、多くのスラヴ民族が正教会またはカトリック教会に改宗しました。この宗教的変化は彼らの文化や社会構造に深い影響を与えました。

キエフ大公国の成立

9世紀後半から10世紀初頭に成立したキエフ大公国は、東スラヴ民族にとって重要な国家でした。この国は商業と文化の中心地として栄え、多くの異なる民族との交流がありました。特にビザンツ帝国との関係は深く、キエフ大公国はビザンツ文化や正教会の影響を受けました。988年にはウラジミール1世がキリスト教を国教として採用し、この決定はスラヴ世界全体における宗教的統一を促しました。

中世後期にはモンゴル帝国の侵攻があり、その結果としてキエフ大公国は衰退しました。しかし、この時期にもスラヴ民族は新たな国家を形成し続け、ポーランド王国やリトアニア大公国が台頭し、西スラヴ民族との連携が強まりました。

16世紀から18世紀にかけて、ロシア帝国が台頭し、東スラヴ民族を中心とした国家形成が進みました。ロシア帝国は他のスラヴ民族との関係を強化しつつ、自国の領土を拡大していきました。この時期には、多くのスラヴ民族がロシア帝国の支配下に置かれ、その文化や言語も影響を受けることとなりました。

19世紀にはナショナリズムが高まり、多くのスラヴ民族が独立を求める動きが活発化しました。特にオーストリア=ハンガリー帝国やオスマン帝国の支配下にあった南スラヴ民族は、自らの国家を求めて闘争しました。この時期、文学や芸術も盛んになり、多くの著名な作家や詩人が登場しました。

20世紀初頭には第一次世界大戦が勃発し、その結果として多くのスラヴ民族が新たな国家を形成する機会を得ました。しかし、その後の第二次世界大戦や冷戦によって、多くの地域で政治的混乱が続きました。特にユーゴスラビアでは内戦が勃発し、多くの民族間で対立が生じました。
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・スラヴ人とは わかりやすい世界史用語1415

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『世界史B 用語集』 山川出版社

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