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18_80 イスラーム世界の形成と拡大 / イスラーム帝国の成立

ブワイフ朝とは わかりやすい世界史用語1320

著者名: ピアソラ
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ブワイフ朝とは

ブワイフ朝は、932年から1062年にかけてイランとイラクの広範囲を統治した重要なイスラーム王朝です。この王朝は、イラン北部のダイラム地方に由来し、アリー(イマード・アル=ダウラ)、ハサン(ルクン・アル=ダウラ)、アフマド(ムイッズ・アル=ダウラ)の三兄弟によって設立されました。彼らは、衰退していたアッバース朝カリフ制の隙を突いて権力を掌握し、名目上はカリフの権威を認めつつも、実際には独立した支配者として君臨しました。



文化的な特徴

ブワイフ朝はシーア派イスラームの特徴を持ち、アラブの征服後にイランの文化的アイデンティティが復活した時代において重要な役割を果たしました。彼らは主にスンニ派が優勢な地域でシーア派を推進し、イランの宗教的風景に長期的な影響を与えました。この王朝の統治は、軍事的な力と文化的な後援の融合によって特徴づけられ、芸術や建築、文学の発展に大きく寄与しました。

政治構造と統治

政治的な構造と統治に関して、ブワイフ朝は分権的な統治形態を採用し、各兄弟が異なる地域を統治しました。アリーはファールス、ハサンはジバル、アフマドはイラクをそれぞれ支配しました。この地域の分割は、家族間の対立や権力の分散を招き、最終的には彼らの全体的な権威を弱める結果となりました。

文化的な支援

文化的な支援において、ブワイフ朝は文化と学問の後援者として知られ、ペルシャ文学や芸術に大きな影響を与えました。彼らはフェルドウスィーやアル=ムタナッビといった詩人を支援し、ペルシャとイスラームの伝統が融合した文化的ルネサンスを促進しました。彼らの治世下では、病院や灌漑システムなどの公共事業が整備され、都市の発展に寄与しました。

宗教的な影響

宗教的な影響について、ブワイフ朝は当初ザイド派シーア派を信奉していましたが、後にムハンマド・アル=マフディの大隠遁後に十二イマーム派シーア派に転向しました。彼らはシーア派の祭りやイラクの聖地への巡礼を奨励し、シーア派のコミュニティ内での正当性を高めつつ、スンニ派に対しても一定の寛容さを保っていました。この二重性は、当時の複雑な宗教的状況を乗り越えるためのものでした。

軍事的な側面

軍事的な側面では、ブワイフ朝は最初、ダイラム兵に依存していましたが、後にトルコ人傭兵を導入しました。この変化は当時のイスラーム軍事組織の広範な傾向を反映しています。しかし、傭兵への依存は不安定さを招くことが多く、軍内部での派閥争いを引き起こしました。

ブワイフ朝の衰退

ブワイフ朝の衰退は983年のアドゥド・アル=ダウラの死後に始まりました。彼の後継者たちは内部の分裂やセルジューク朝、ガズナ朝といった新興勢力からの圧力に苦しみました。1055年には、セルジューク朝のトゥグリル・ベグによってバグダードが陥落し、イラクにおけるブワイフ朝の影響力は終焉を迎えました。

ブワイフ朝は中世イランの歴史において重要な役割を果たしました。彼らの政治構造、文化的貢献、宗教政策、軍事組織、そして最終的な衰退は、イランにおける歴史の形成に大きく寄与しました。
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『世界史B 用語集』 山川出版社

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