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18_80 イスラーム世界の形成と拡大 / イスラーム帝国の成立

マンスールとは わかりやすい世界史用語1277

著者名: ピアソラ
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マンスールとは

マンスールは、アッバース朝の第二代カリフであり、754年から775年まで在位しました。彼はアッバース朝の実質的な創設者とされ、バグダードの建設者としても知られています。

マンスールの生涯

アル=マンスールは714年に現在のヨルダンに位置するアル=フマイマで生まれました。彼の父ムハンマドは、預言者ムハンマドの叔父であるアッバース・イブン・アブドゥルムッタリブの曾孫にあたります。母親はベルベル人の奴隷であるサラマでした。アル=マンスールは、異母弟のアブー・アル=アッバース・アッ=サッファーフと共に育ちました。



アッバース革命とカリフ即位

マンスールの異母弟サッファーフは、ウマイヤ朝に対する反乱を主導し、750年にウマイヤ朝を打倒しました。アッ=サッファーフはアッバース朝の初代カリフとなり、アル=マンスールは彼の右腕として活動しました。754年にアッ=サッファーフが死去すると、アル=マンスールが第二代カリフとして即位しました。

バグダードの建設

マンスールの治世における最も重要な業績の一つは、バグダードの建設です。762年、彼はバグダードの建設を命じ、この都市は「平和の都市」と呼ばれました。バグダードはアッバース朝の首都として急速に発展し、学問、文化、商業の中心地となりました。特に「知恵の館」が設立され、多くの学者や哲学者が集まりました。

政治と統治

マンスールは、アッバース朝の統治を安定させるために多くの改革を行いました。彼は中央集権化を進め、行政機構を整備しました。また、ウマイヤ朝の残党を徹底的に排除し、アッバース朝の支配を確立しました。彼の治世中には、軍事的な成功も多く、帝国の領土が拡大しました。

宗教政策

アル=マンスールは、イスラム教の正統性を強調し、宗教的な統一を図りました。彼はイスラム法学者や宗教指導者を重用し、イスラム教の教義を広めるための努力を惜しみませんでした。また、異端とされた宗派や教義に対して厳しい態度を取り、宗教的な統一を維持しました。

晩年と死

アル=マンスールは775年にメッカ近郊で死去しました。彼の死後、息子のアル=マフディーが第三代カリフとして即位しました。アル=マンスールの治世は、アッバース朝の基盤を固め、後の繁栄を支える重要な時期となりました。

マンスールは、アッバース朝の実質的な創設者として、バグダードの建設や行政改革を通じて帝国の基盤を築きました。彼の治世はアッバース朝の黄金時代の幕開けを告げるものでした。
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『世界史B 用語集』 山川出版社

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