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18_80 西アジア・地中海世界の形成 / ローマ帝国

シチリアの奴隷反乱とは わかりやすい世界史用語1085

著者名: ピアソラ
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シチリアの奴隷反乱とは

ローマ時代のシチリアにおける奴隷反乱は、共和政ローマの重要な出来事であり、特に第一次と第二次の奴隷戦争が際立っています。これらの反乱は、ローマの奴隷制度の厳しさと奴隷たちの苦しい状況を浮き彫りにしました。

第一次シチリア奴隷戦争(紀元前139~紀元前132年)

第一次シチリア奴隷戦争は、紀元前139年から132年にかけてシチリア島で発生しました。この反乱は、シリア出身の奴隷エウヌスが主導し、彼は預言者と名乗って約400人の奴隷と共にエンナの都市を占拠しました。エウヌスは自らを「アンティオコス王」と称し、セレウコス朝の皇帝に由来する名前を使用しました。

エウヌスの反乱は急速に広がり、キリキア出身の奴隷クレオンが加わり、彼を軍事指導者として支えました。クレオンはアグリジェントゥムの都市を攻撃し、住民を虐殺した後、エウヌスの軍に合流しました。反乱軍はシチリアの東海岸に進出し、諸都市を支配しました。

ローマは反乱を鎮圧するために軍を派遣しましたが、エウヌスとクレオンはこれを撃退しました。最終的に、ローマの執政官プブリウス・ルピリウスがシチリアに到着し、反乱軍の拠点であるエンナとタウロメニウムを包囲しました。紀元前132年にこれらの都市が陥落し、反乱は終わりました。



第二次シチリア奴隷戦争(紀元前104年 - 紀元前99年)

第二次シチリア奴隷戦争は、紀元前104年から99年にかけて発生しました。この反乱は、アテニオンとトリフォンの二人の奴隷指導者によって主導されました。彼らはシチリアの奴隷たちを組織し、再びローマに対して反乱を起こしました。

この反乱も第一次と同様、奴隷たちの厳しい労働条件と虐待に対する反発が背景にありました。アテニオンとトリフォンは、奴隷たちに自由と平等を約束し、多くの支持を集めました。彼らはシチリア各地でローマ軍と戦い、一時的に成功を収めましたが、最終的にはローマの軍事力に敗れました。

奴隷反乱の背景と影響

シチリアの奴隷反乱の背景には、ローマの奴隷制度の厳しさがありました。ローマの拡大に伴い、戦争捕虜や誘拐された人々が奴隷として売られ、シチリアの大規模農場(ラティフンディア)で過酷な労働を強いられていました。奴隷たちは食料や衣服の不足、過酷な労働条件、そして虐待に苦しんでいました。

これらの反乱はローマ社会に大きな影響を及ぼしました。まず、奴隷制度の問題が浮き彫りになり、奴隷たちの待遇改善を求める声が高まりました。また、反乱の鎮圧には多大な軍事力と資源が必要とされ、ローマの経済や軍事に対する負担が増しました。

さらに、これらの反乱はローマの政治にも影響を与えました。奴隷反乱の鎮圧に成功した指導者たちは、その功績により政治的地位を高めました。例えば、プブリウス・ルピリウスは第一次奴隷戦争の鎮圧後、ローマでの影響力を強化しました。

シチリアの奴隷反乱は、古代ローマにおける重要な出来事であり、奴隷制度の厳しさとその社会的影響を明らかにしました。これらの反乱を通じて、奴隷たちの状況やローマ社会の矛盾が浮き彫りとなり、今後の社会的変革のきっかけとなる要素が生まれました。
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『世界史B 用語集』 山川出版社

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