大化の改新
聖徳太子がなくなった後、権力をにぎったのは
蘇我蝦夷(そがのえみし)、
蘇我入鹿(そがのいるか)の親子でした。
蘇我氏はまず、聖徳太子の子供で聖徳太子の次を継ぐであろうとされていた
山背大兄王(やましろおおえのおう)を殺害します。
これによって敵がいなくなった蘇我氏は独裁的な政治を行います。しかし、彼らの政治に不満を持つ者も少なくはありませんでした。
そこで立ち上がったのが
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と
中臣鎌足(なかとみのかまたり。後の藤原鎌足)です。
中大兄皇子と中臣鎌足は、共謀をして蘇我蝦夷、蘇我入鹿の親子をたおすことに成功し、独裁的に行われていた政治を取り戻します。
以前は、この事件のことを大化の改新と言っていましたが、現在ではこの事件のことを
乙巳の変(おっしのへん)、そして
蘇我氏を滅ぼして政治の体制を整えた一連の流れのことを
大化の改新とよんでいます。