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18_80 西アジア・地中海世界の形成 / ギリシア世界

テルモピレー(テルモピュライ)の戦いとは わかりやすい世界史用語958

著者名: ピアソラ
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テルモピレー(テルモピュライ)の戦いとは

テルモピレーの戦い(紀元前480年)は、アケメネス朝ペルシアとギリシア諸都市国家との間で行われた重要な戦闘であり、ギリシア・ペルシア戦争の中でも特に有名な戦いの一つです。この戦いは、スパルタ王レオニダス1世率いる少数のギリシア軍が、圧倒的な数のペルシア軍に対して勇敢に立ち向かったことで知られています。

テルモピレーの戦いの背景には、紀元前490年のマラトンの戦いでのペルシアの敗北があります。ペルシア王ダレイオス1世の後を継いだクセルクセス1世は、ギリシアへの再侵攻を決意し、紀元前480年に大規模な軍事遠征を開始しました。ペルシア軍は、陸軍と海軍を合わせて約20万人から30万人の兵力を擁していたとされています。

ギリシア側は、アテネの政治家テミストクレスの提案により、ペルシア軍の進軍をテルモピレーの狭隘な峠で阻止することを決定しました。テルモピレーは、中央ギリシアへの唯一の陸路であり、地形的に防御に適していました。



戦闘の経過

ギリシア軍は、スパルタ王レオニダス1世率いる約7,000人の兵士で構成されていました。その中には、300人のスパルタ重装歩兵と700人のテスピアイ兵が含まれていました。ペルシア軍は、クセルクセス1世の指揮の下、テルモピレーに到達し、ギリシア軍に対して攻撃を開始しました。

戦闘は3日間にわたって行われました。初日と2日目、ギリシア軍は狭隘な峠を利用してペルシア軍の進軍を阻止し、多くのペルシア兵を撃退しました。しかし、3日目に地元の住民エフィアルテスがペルシア軍に裏道を教えたため、ペルシア軍はギリシア軍の背後に回り込むことができました。

レオニダス1世は、ギリシア軍の大部分を撤退させ、自らは300人のスパルタ兵と700人のテスピアイ兵と共に最後まで戦い続けました。彼らは全滅するまで戦い、ペルシア軍に多大な損害を与えました。

テルモピレーの戦いの影響

テルモピレーの戦いは、ギリシア人にとって大きな精神的勝利となりました。少数の兵士が圧倒的な数の敵に対して勇敢に戦ったことで、ギリシア人の士気は大いに高まりました。この戦いは、後のサラミスの海戦やプラタイアの戦いにおけるギリシアの勝利の基盤を築きました。

また、テルモピレーの戦いは、スパルタの軍事的勇猛さと自己犠牲の精神を象徴するものとして、後世に語り継がれました。この戦いは、ギリシアの歴史と文化において重要な位置を占めています。

テルモピレーの戦いは、ギリシアとペルシアの歴史において重要な転換点となりました。この戦いを通じて、ギリシア人は自らの独立と自由を守り抜き、その後の文化的、政治的な発展の基盤を築きました。
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『世界史B 用語集』 山川出版社

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