新規登録 ログイン

18_80 アジア・アメリカの古代文明 / イラン文明

「王の道」とは わかりやすい世界史用語876

著者名: ピアソラ
Text_level_2
マイリストに追加
「王の道」とは

アケメネス朝(紀元前550年~紀元前330年)の「王の道」は、ダレイオス1世(紀元前550年~紀元前486年)の時代に再編成され、建設された古代の主要な幹線道路です。この道路は、帝国の広大な領土を効果的に管理し、迅速な通信と移動を可能にするために設計されました。

「王の道」は、スサ(現在のイラン)からサルディス(現在のトルコ)まで約2,500キロメートルにわたって延びていました。この道路は、帝国内の主要都市を結び、商業、軍事、行政の目的で広く利用されました。

王の道の構造と機能

「王の道」は、単なる道路網ではなく、河川、運河、トレイル、港湾施設なども含む複合的な交通ネットワークでした。例えば、ダレイオス1世はナイル川と紅海を結ぶ運河を建設し、海上交通をも統合しました。

この道路網には、定期的に配置された宿駅があり、旅行者や使者が休息し、馬を交換することができました。これにより、通信速度が大幅に向上し、スサからサルディスまでの旅程は徒歩で90日、馬を利用するとさらに短縮されました。

ピラダジシュ:高速郵便システム

「王の道」の重要な機能の一つは、高速郵便システム「ピラダジシュ」でした。これは、古代イラン語で「速いランナー」を意味し、ギリシャ語では「アンガレイオン」と呼ばれました。このシステムにより、帝国内の主要都市間で迅速な通信が可能となり、王は広大な領土の隅々まで目を光らせることができました。

歴史的背景と影響

「王の道」は、アケメネス朝の統治システムの中で特に重要な位置を占めていました。この道路網は、帝国の安定と繁栄を支える基盤となり、商業活動の活性化や文化交流の促進にも寄与しました。

また、「王の道」は後の帝国や王国にも影響を与えました。例えば、ローマ帝国の道路網や中世ヨーロッパの交易路は、「王の道」の概念を取り入れ、発展させたものです。

アケメネス朝の「王の道」は、帝国の広大な領土を効果的に管理し、迅速な通信と移動を可能にするための重要なインフラでした。この道路網により、中央政府は地方の統治を効率的に行い、帝国全体の安定と繁栄を維持することができました。また、「王の道」は後の時代にも影響を与え、広く採用されました。
Tunagari_title
・「王の道」とは わかりやすい世界史用語876

Related_title
もっと見る 

Keyword_title

Reference_title
『世界史B 用語集』 山川出版社

この科目でよく読まれている関連書籍

このテキストを評価してください。

※テキストの内容に関しては、ご自身の責任のもとご判断頂きますようお願い致します。

 

テキストの詳細
 閲覧数 1,085 pt 
 役に立った数 0 pt 
 う〜ん数 0 pt 
 マイリスト数 0 pt 

知りたいことを検索!

まとめ
このテキストのまとめは存在しません。