テルミドールの反動
山岳派の様々な政策と同時に、内部抗争も激化し、
ダントンや
エミールといった山岳派の政治家が処刑されると、ロベスピエールの個人独裁政権が誕生しました。ロベスピエールはその後も恐怖政治を強化し、多くの人々を処刑していきます。
この個人独裁に危機を感じた反ロベスピエール派は、1794年7月27日にクーデターを起こします。
これを
テルミドール(革命暦の熱月)の反動と言い、ロベスピエールは逮捕・処刑され、恐怖政治は終わりを迎えました。
(ロベスピエールの処刑)
総裁政府の成立
1795年8月に、上層市民のブルジョワジーを代表する人々が
1795年憲法(共和国第3年憲法)を制定し、
財産選挙が復活しました。この選挙の結果、
総裁政府が成立します。
ところが総裁政府は、独裁者の発生を恐れ権力を分散させた政権だったため、その力は弱く、不安定でした。
この不安定な政府に対し、王党派の反乱やクーデターが頻発します。
対外的には、オランダ攻略やプロイセンとの講和、オーストリアと
カンポ=フォルミオの和約などを実現し、第1回対仏大同盟を崩壊させました。
こうした中、強い権力を持つ独裁者の登場が国民から望まれ、
ナポレオン=ボナパルトが登場することになるのです。