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18_80 東アジア世界の形成と発展 / 東アジア文化圏の形成(隋・唐帝国と諸地域)

府兵制とは わかりやすい世界史用語618

著者名: ピアソラ
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府兵制とは

府兵制は、中国の歴史において重要な軍事制度の一つであり、6世紀から8世紀にかけて存在しました。この制度は、西魏(535年-556年)で始まり、北周(557年-581年)、隋(581年-618年)、そして唐(618年-907年)といった王朝で採用されました。

府兵制の起源と発展

府兵制は、西魏の宰相であった宇文泰によって初めて導入されました。この制度の目的は、中央アジアの遊牧民族の侵入を防ぐために、農民を軍事訓練し、非常時には武装した部隊として組織することでした。この制度は、北周、隋、そして唐の各王朝で引き継がれ、特に唐代においては、国家の軍事力の基盤となりました。

府兵制の構造と運用

府兵制の基本的な構造は、地方の民兵組織に基づいていました。各家庭は土地を割り当てられ、農業を営む一方で、必要に応じて軍事訓練を受け、戦時には兵士として動員されました。これらの兵士は「府兵」として知られました。

唐代においては、府兵は「折衝府」と呼ばれる軍事単位に編成されました。各折衝府は800人から1200人の兵士で構成され、さらに「団」(300人)、「隊」(50人)、「火」(10人)といった小単位に分けられました。これにより、迅速な動員と効率的な指揮が可能となりました。



府兵制の利点と課題

府兵制の大きな利点は、政府の財政負担を軽減できる点にありました。兵士たちは農業を営むことで自給自足し、政府は彼らの維持費を負担する必要がありませんでした。また、平時には農業に従事し、戦時には迅速に動員できるため、柔軟な軍事力の運用が可能でした。

しかし、府兵制にはいくつかの課題も存在しました。長期間の戦争や頻繁な動員が続くと、農業生産が停滞し、経済に悪影響を及ぼす可能性がありました。また、唐代中期以降、府兵制は次第に形骸化し、常備軍である「健児」に取って代わられるようになりました。

府兵制の衰退と影響

唐代の中期以降、府兵制は次第に衰退しました。その主な原因は、長期間の戦争や政治的不安定によるものでした。府兵たちは農業に従事する時間が減少し、経済的な負担が増大しました。また、府兵制の運用が困難になり、常備軍の必要性が高まりました。

府兵制の衰退に伴い、唐代後期には常備軍である健児が主力となりました。健児は、専業の兵士として訓練され、戦時には迅速に動員されることができました。この変化により、唐代の軍事力は再編成され、より効率的な運用が可能となりました。

府兵制の歴史的意義

府兵制は、中国の軍事史において重要な役割を果たしました。この制度は、農業と軍事を結びつけることで、国家の軍事力を維持しつつ、経済的な負担を軽減することを可能にしました。また、地方の民兵組織を通じて、中央政府の統制力を強化し、地方の安定を図ることができました。

府兵制は、中国の歴史において重要な軍事制度であり、6世紀から8世紀にかけて存在しました。この制度は、農民を軍事訓練し、非常時には武装した部隊として組織することで、国家の軍事力を維持しつつ、経済的な負担を軽減することを目的としていました。しかし、長期間の戦争や政治的不安定により、次第に形骸化し、常備軍である健児に取って代わられるようになりました。それでも、府兵制は中国の軍事史において重要な役割を果たし、その影響は後の時代にも及びました。
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『世界史B 用語集』 山川出版社

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