南越とは
南越は、紀元前204年に漢人の将軍趙佗によって建国された古代の王国です。この王国は、現在の中国の広東省、広西チワン族自治区、海南省、香港、マカオ、そしてベトナムの中部から北部にかけての地域を支配していました。
趙佗は、秦の南海郡太守として任命された後、秦朝の崩壊を受けて南越を建国しました。当初、南越は南海、桂林、象郡の三郡から成り立っていました。趙佗は、南越を独立した勢力として確立する一方で、時には漢の高祖に対して朝貢を行うことで、漢朝との間に一定の外交関係を築きました。しかし、南越は実質的には漢朝からの自立を保ち続けていました。
南越の統治者たちは、自らを皇帝と称し、漢朝と対等の関係を主張していました。しかし、紀元前113年に第四代の統治者趙興が漢朝に正式に編入を求めた際、首相の呂嘉はこれに強く反対し、趙興を殺害して兄の趙建德を王位につけました。これにより漢朝との間で対立が激化し、翌年には漢の武帝が10万の兵を送り、南越を滅ぼしました。
南越は93年間存在し、5代にわたる君主が治めました。この王国の存在は、崩壊した秦朝による混乱から嶺南地方を守り、北部の漢民族地域が経験した困難を避けることを可能にしました。南越の建国者たちは、中国中原地方出身の漢民族であり、彼らは中国式の官僚制度や手工業技術、さらには中国語と文字システムの知識を南部地域の住民にもたらしました。
南越の統治者たちは、「和集百越」という政策を推進し、黄河地域からの漢民族の南下移住を奨励しました。彼らは、越族と漢民族の文化の同化に反対ではありませんでした。ベトナムでは、南越国の統治者たちは趙氏として知られています。また、「ベトナム」という国名は、南越のベトナム語読みから派生しています。