中期(紀元前1430年から紀元前1330年):この時期は、カッシート人がバビロニアの国際的な地位を高めた時期です。カッシート人の王は、エジプト、ヒッタイト、アッシリア、エラム、ミタンニなどの周辺の大国と外交関係を築きました。特にエジプトとの関係は、アメンホテプ3世とクリガルズ2世の間に結婚同盟が成立したことで知られています。この時期のカッシート人の王は、バビロニアの王としての称号だけを用いるようになりました。この時期の最も有名な王は、バビロニアの法典を編纂し、バビロニアの文化や芸術を発展させたクルム・ビュリアスです。
後期(紀元前1330年から紀元前1155年):この時期は、カッシート人がバビロニアの支配に挑戦された時期です。カッシート人の王は、アッシリアやエラムの侵入に対抗するために、バビロニアの防衛を強化しました。しかし、カッシート人の王は、バビロニアの内部の反乱や分裂にも直面しました。この時期のカッシート人の王は、バビロニアの王としての称号の他に、カッシート人の神々の称号も用いるようになりました。
末期(紀元前1155年から紀元前1150年):この時期は、カッシート人がバビロニアの支配を失った時期です。カッシート人の王は、アッシリアの王ティグラト・ピレセル1世やエラムの王シュトルク・ナフンテの攻撃に対抗できませんでした。紀元前1155年には、エラムの王シュトルク・ナフンテがバビロンを占領し、カッシート人の王エンリル・ナディン・アヒを殺害しました。その後、エラムの支配下にあったバビロニアは、紀元前1150年にアッシリアの王アッシュール・レシュ・イシ1世によって征服されました。これにより、カッシート人の時代は終わりを迎えました。
カッシート人の時代は、バビロニアの歴史の中で重要な役割を果たした時代です。カッシート人は、バビロニアの文化や宗教を継承し、発展させ、バビロニアの国際的な関係を強化し、周辺の大国との外交や同盟を行いました。他方でバビロニアの法律や文学を編纂し、保存し、バビロニアの建築や芸術を美化し、豊かにしました。