新規登録 ログイン

18_80 西アジア・地中海世界の形成 / 古代オリエント世界

バビロン第1王朝の歴史と文化 世界史用語108

著者名: ピアソラ
Text_level_2
マイリストに追加
バビロン第1王朝とは

バビロン第1王朝は、紀元前1894年から紀元前1595年まで、メソポタミアの中南部に存在しました古代の国家です。この王朝は、アッカド語を話すアモリ人によって建国され、最も有名な王はハンムラビでした。ハンムラビは、周辺の都市国家を征服し、バビロンをメソポタミアの覇権国家にしました。また、ハンムラビは世界最古の成文法典であるハンムラビ法典を制定し、法と正義の基準を定めました。バビロン第1王朝は、アッカド語とシュメール語の伝統を受け継ぎ、メソポタミアの文化に大きな影響を与えました。

バビロン第1王朝の前には、メソポタミアにはシュメール人とアッカド人が住んでいました。シュメール人は紀元前5400年頃に文明を築き、文字や都市、神殿、法律などを発明しました。アッカド人は紀元前35世紀から紀元前30世紀の間に現れたセム語系の民族で、紀元前2334年にシュメール人を征服してアッカド帝国を建てました。アッカド帝国は紀元前2154年に崩壊し、その後はシュメール人が再び勢力を回復しました。紀元前2112年にはウル第3王朝が成立し、メソポタミアを統一しました。しかし、ウル第3王朝も紀元前2004年にエラム人とアモリ人に滅ぼされました。



アモリ人は紀元前20世紀にメソポタミアに侵入した西セム語系の遊牧民で、メソポタミアの各地に都市国家を建てました。その中の一つがバビロンでした。バビロンは紀元前1894年にアモリ人の王スムアブムによって建国されました。スムアブムはディルバトやキシュなどの都市を征服し、バビロンの領土を拡大しました。彼の後継者スムアライルムは、バビロンの城壁を完成させ、キシュの反乱を鎮圧し、カザルルを破壊し、ニップルを一時的に支配しました。バビロン第1王朝の初期の王たちは、アッカド人ではありませんでしたが、アッカド語を公用語とし、シュメール語を宗教用語としました。また、アッカド人やシュメール人の神々を崇拝し、メソポタミアの文化を継承しました。

バビロン第1王朝の最盛期は、紀元前1792年から紀元前1750年まで在位したハンムラビの時代です。ハンムラビは、父シンムバリトから王位を継いだとき、バビロンはメソポタミアの中小国家の一つに過ぎませんでした。メソポタミアは、アッシリア、エラム、ラルサ、マリ、エシュヌンナなどの国家に分裂していました。ハンムラビは、外交と戦争の両方を駆使して、これらの国家を次々と服従させました。彼は、紀元前1763年にエシュヌンナを、紀元前1762年にマリを、紀元前1761年にラルサを、紀元前1755年にエラムを、紀元前1754年にアッシリアを打ち破りました。ハンムラビは、メソポタミア全土を統一し、バビロン帝国を建設しました。

ハンムラビは、征服した地域の統治にも力を注ぎました。彼は、各地に自分の代理人を置き、租税や法律、灌漑などの管理を行いました。彼はまた、多くの都市の城壁や神殿、運河などの公共事業を行い、文化や経済の発展に寄与しました。ハンムラビの最大の業績は、ハンムラビ法典の制定です。ハンムラビ法典は、紀元前1750年頃に作られた、282条からなる成文法典です。この法典は、石碑に刻まれ、バビロンの神殿に置かれました。ハンムラビ法典は、罪と罰、契約、財産、家族、奴隷などの様々な事項について規定しており、当時の社会や文化を知る貴重な資料です。ハンムラビ法典は、有名な「目には目を、歯には歯を」という報復法の原則を採用していますが、同時に、被害者と加害者の和解や、罰金や賠償といった代替的な処罰も認めています。ハンムラビ法典は、後のメソポタミアや中東の法制度に影響を与えました。

ハンムラビの死後、バビロン帝国は衰退しました。彼の息子サムスイルナは、エラムやアッシリアなどの反乱を抑えるのに苦労しました。彼の孫アビエシュフは、紀元前1712年にカッサイト人によって殺されました。カッサイト人は、紀元前16世紀にメソポタミアに侵入したインド・ヨーロッパ語族の民族で、バビロン第1王朝を滅ぼし、バビロン第2王朝を建てました。バビロン第1王朝は、紀元前1595年にカッサイト人によるバビロンの略奪によって終わりを迎えました。

文化
バビロン第1王朝は、アッカド語とシュメール語の文化的伝統を受け継ぎ、メソポタミアの文化に大きな影響を与えました。バビロン第1王朝の文化は、主に宗教、文学、芸術、科学、法律などの分野で発展しました。

宗教
バビロン第1王朝の宗教は、アッカド人やシュメール人の神々を崇拝する多神教でした。バビロン第1王朝の神々は、自然や社会の現象を司る力として考えられており、人間との関係は契約的なものでした。人間は、神々に祈りや供物を捧げることで、神々の恩恵や保護を得ることができました。バビロン第1王朝の神々の中で、最も重要な神は、バビロンの守護神であり、天空や正義の神であるマルドゥクでした。マルドゥクは、ハンムラビの時代に、メソポタミアの最高神として崇められるようになりました。マルドゥクは、古代の神話において、混沌の海であるティアマトと戦って勝利し、宇宙を創造したとされます。マルドゥクの他にも、太陽の神シャマシュ、月の神シン、愛と戦の女神イシュタル、知恵と文明の神エアなど、多くの神々が崇拝されました。バビロン第1王朝の宗教は、神殿や祭祀、占いや呪術、神話や祈祷などの様々な形態で表現されました。

1ページへ戻る
前のページを読む
1/2
次のページを読む

Tunagari_title
・バビロン第1王朝の歴史と文化 世界史用語108

Related_title
もっと見る 

Keyword_title

Reference_title
『世界史B 用語集』 山川出版社

この科目でよく読まれている関連書籍

このテキストを評価してください。

※テキストの内容に関しては、ご自身の責任のもとご判断頂きますようお願い致します。

 

テキストの詳細
 閲覧数 4,278 pt 
 役に立った数 0 pt 
 う〜ん数 0 pt 
 マイリスト数 0 pt 

知りたいことを検索!

まとめ
このテキストのまとめは存在しません。