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【日露戦争、韓国併合、満州進出、桂園時代】 受験日本史まとめ 61
著作名: Cogito
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日露戦争では、両国の社会体制の差が勝敗に大きな影響を与えました。立憲政治を実現し、国内改革に成功していた日本では、国民の支持のもと総力をあげて戦うことができましたが、ロシアでは皇帝の専制政治が続いており、国内でこれに反対する運動が活発化し、十分な戦力を発揮できませんでした。

日露戦争開戦後、戦況は軍事的に日本優勢で進みました。陸軍は遼陽・沙河の会戦でロシア軍を撃破し、1905年(明治38年)1月には海軍基地の旅順を攻略し、3月には奉天会戦で勝利しました。また、海軍も同年5月に東郷平八郎率いる連合艦隊が日本海海戦でロシアのバルチック艦隊をほぼ全滅させました。

当時ロシア国内では皇帝(ツァー)による圧政に民衆が反発しており、1905年(1月)には、首都ペテルブルグでデモ隊に軍が発砲した血の日曜日事件が起こり、国内情勢が険悪化していました。しかし、軍事的に優勢だった日本も、兵器・弾薬・兵員の補充や戦費調達が困難となり、戦争継続能力がほぼなくなりかけていました。こうした状況により、日本海海戦の直後、日本政府は正式にアメリカ大統領に和平仲介を依頼しました。

日露戦争中内村鑑三・幸徳秋水・堺利彦・与謝野晶子ら少数の人々は戦争反対を唱えました。与謝野晶子は旅順攻撃に参加していた弟に対する詩「君死にたまふことなかれ」を発表しました。

満州に対するロシアの独占支配を警戒し、日露両国の勢力均衡を望んでいたアメリカ大統領セオドア=ローズヴェルトは、和平斡旋に乗り出し、ロシアもこれに応じました。1905年(明治38年)9月、日本側主席全権小村寿太郎外相と、ロシア側主席全権ヴィッテとの間で、ポーツマス条約(日露講和条約)の調印が行われました。この条約により、以下が決められました。

・韓国に対するいっさいの指導・保護・監督権の承認
・旅順・大連の租借権と長春・旅順間の鉄道および付属権利の譲渡
・北緯50度以南の樺太の割譲
・沿海州とカムチャッカの漁業権
・満州(日本の租借地を除く)からの両軍の撤退、清国に対する機会均等

日露戦争では、日本は110万人の兵力を動員し、死傷者20万人以上という損害を出し、最終的に勝利しました。しかし、ポーツマス条約では賠償金が得られないなど内容が期待以下であったため、東京では条約調印当日に政府高官邸や警察署、政府系新聞社・キリスト教会などを襲撃した日比谷焼打事件がおこり、政府は戒厳令を出し軍隊を出動させ暴動を鎮圧しました。

日露戦争後の国際関係

日露戦争の日本の勝利は、東アジアの国際関係を大きく変動させました。当時小国だった日本の勝利により、中国・インド・トルコ・フィンランドなどで民族運動が高まり、孫文(1866〜1925)は清王朝打倒を目指し1905年(明治38年8月)東京で中国同盟会を結成し、その後中国の民族革命運動の起点となりました。
韓国併合

日露戦争中の1904年(明治37年)8月、日本は韓国と第一次日韓協約を結び、翌1905年(明治38年)にはアメリカとの間で桂 - タフト協約を結び、日本が韓国の、アメリカがフィリピンの指導権を相互に確認しあいました。ついで戦後の1905年(明治38年)11月には、第二次日韓協約(韓国保護協約)を結び日本は韓国の外交権を獲得し、漢城(現ソウル)に韓国統監府をおき、伊藤博文が初代統監となり統監政治をはじめ、日本は韓国を保護国化しました。

これに対し韓国側は、1907年(明治40年)6月、ハーグの万国平和会議に皇帝の密使を送り抗議しましたが、成功しませんでした。このハーグ密使事件をきっかけに、日本は同年7月に韓国皇帝を退位させ、第三次日韓協約を結び、内政権を得て韓国の軍隊を解散させました。韓国国内ではこの日本の対応に対し反日武装闘争の義兵運動が高まりましたが、日本は軍を派遣しこれらを鎮圧しました。1909年(明治42年)10月、ハルビンで韓国統監伊藤博文が安重根によって暗殺されると、日本は翌年1910年(明治43年)9月、韓国併合を強行し、韓国を植民地とし、名称を朝鮮に、漢城を京城と改称し天皇直属の朝鮮総督府を置き統治をはじめました。

朝鮮総督には武官が派遣され、総督府では地税整理と土地調査が行われました。その結果日本人地主の土地所有が拡大し、朝鮮の小農民が没落する状況も生まれ、一部の人々は仕事を求め日本に移住しました。
1908年(明治41年)、日本は韓国の拓殖事業推進のために東洋拓殖株式会社を設立し、農業経営・灌漑事業・金融事業を行いました。また、京釜鉄道も完成し、産業発展や軍事輸送に利用されました。




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