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【明治憲法の制定、初期の帝国議会、条約改正、日清戦争】 受験日本史まとめ 59 |
著作名:
Cogito
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明治憲法の制定
1883年(明治16年)にヨーロッパから帰国した伊藤博文は、1886年(明治19年)から、ドイツ人顧問ロエスレルとモッセの助言を受けながら、井上毅・伊東巳代治・金子堅太郎とともに憲法と付属諸法令の起草に取り掛かりました。1888年(明治21年)4月に新設された枢密院において、明治天皇親臨のもと憲法草案が非公開で審議がはじまり、伊藤博文は首相を辞職し枢密院議長となり、憲法草案の審議を主宰しました。1889年(明治22年)2月11日枢密院での修正を経て、大日本帝国憲法(明治憲法)が発布されました。大日本帝国憲法は、主権者たる天皇が制定・発布した欽定憲法で7章76条からなり、1850年のプロイセン憲法から多くを取り入れ、君主大権主義(君権主義)を基本とするものでした。
この憲法では、天皇は神聖不可侵とされ、国家元首として統治権を総攬するものと定められました。陸海軍の統帥・編成・常備兵額の決定、行政各部の官制制定・官吏の罷免・法律の裁可・公布・施行、帝国議会の召集・衆議院の解散、宣戦布告・講和・条約締結などの権限や緊急勅令発布権など広大な大権を有していました。しかし、こうした大権は無制限ではなく、憲法の条文に基づき行使されなければならないことも明記されました。皇位継承は皇室典範により皇統の長子(男子)が継ぐと定められました。
帝国議会は貴族院・衆議院の両院からなり、天皇に協賛して立法権を行使し、政府提出の予算案の審議・議決にあたるとされました。衆議院議員選挙法も発布され、選挙権を持つ者は地租・所得税15円以上を納める満25歳以上の男子(被選挙権は30歳)に限るというもので、1890年(明治23年)当時の第1回総選挙の有権者はわずか45万人余りで人口の1.1%ほどでした。
大日本帝国憲法の公布と帝国議会開設により、日本は他のアジア諸国に先駆けて、近代的な立憲国家となっていきました。
明治憲法体制
大日本帝国憲法を中心とする国家体制は、明治憲法体制または明治立憲制とよばれています。この明治憲法体制のもとでは、各国家機関が独立して存在しており、天皇のもとでのみ統合する仕組みになっていましたが、現実には、国務大臣や帝国議会の輔弼や協賛により天皇はさまざまな権限を行使しました。明治時代には、元老が天皇の相談役として代行的な役割を果たしていましたが、のちの大正期以降元老の勢力が退潮すると、政治運営において内閣・議会・軍部など様々な勢力が権力を巡って割拠し、1930年代に入ると軍部の支配力が増大し、「天皇制の無責任の体系」というものが現れるようになっていきました。
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