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17_80 近代日本の形成とアジア / 条約改正・日清/日露戦争

【立憲政友会の成立、桂園時代、列強の中国分割、北清事変と日英同盟締結】 受験日本史まとめ 60

著者名: Cogito
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官僚制の確立

明治政府の様々な政策を実行するうえで、非常に大きな役割を担ったのが官僚でした。1880年代以降、文官任用令の制定など、これまでの情実任用(自由任用)にかわって、近代的な資格任用(試験による官吏の任用)の制度が確立されました。同時に、帝国大学など官吏養成機関が整備されました。この後、政権交代により公務員を交代させる猟官制の採用も検討されましたが、これを封じようとした第2次山県有朋内閣は、1899年(明治32年)に文官任用令を改正し、資格任用制度を一層強化し、文官分限令を公布して官吏の身分保障を強化しました。しだいに行政官僚における藩閥の影響力は少なくなり、明治末期には帝国大学、とくに法科大学(現在の東大法学部)出身者が大きな比重を占めるようになりました。こうして官僚は、出自に関係なく帝国大学卒業という学歴を通じて国家の指導者的地位につくようになり、しばしば特権的集団として政党勢力と対抗する強力な政治勢力となっていきました。

列強の中国分割

19世紀末、日本が近代国家に変わっていく中、西欧列強は帝国主義政策をとるようになりました。自国商品の販売先としての市場と原料供給地獲得のため、植民地獲得競争が激しくなり、アジアやアフリカにもその矛先が向けられました。

当時の世界情勢では、イギリスは1875年にエジプトのスエズ運河の株式を買収し、1877年にはヴィクトリア女王がインド皇帝に就任し、インドを自国の領土とし、1880年代にビルマを併合しました。フランスは、1884年に清仏戦争を起こし、その勝利により翌年ヴェトナムを保護国化し、1887年には東南アジアに仏領インドシナ連邦を形成しました。ドイツは、1870年代・80年代に南太平洋の島々を植民地とし、宰相ビスマルクの失脚後、ヴィルヘルム2世の親政のもと積極的な世界政策をはじめました。ロシアは、ツァーの専制政治のもと1877年の露土戦争に勝利しバルカン半島南下を果たし、1890年代にシベリア鉄道の建設を進めました。アメリカは、1898年にハワイを併合し太平洋の足がかりを確立し、さらに米西戦争の結果スペインからフィリピンを獲得し植民地としました。

こうした列強の中で、日本の脅威となったのがロシアでした。日清戦争に勝利した日本でしたが、三国干渉により利益線が後退し、その後ロシアが朝鮮に進出し、1895年(明治28年)7月に親露派政権を成立させました。日本は同年10月、大院君を擁立した日本主導のクーデターである閔妃殺害事件をおこし親日派政権を樹立させましたが、翌年2月に再び政変がおこり朝鮮国王はロシア公使館に移り、再びロシアが支持する政権が発足しました。その後、日本とロシアは山県 ‐ ロバノフ協定や西 ‐ ローゼン協定などを結び朝鮮における利害の調整を図りましたがうまくいかず、日露の対立は深刻化していきました。

一方日清戦争に敗れた結果、眠れる獅子として恐れられていた清国の弱体化が明らかとなり、列強による租借が進みました。ドイツは宣教師殺害事件をきっかけに1898年山東半島の膠州湾を租借し、ロシアは三国干渉により日本が返還した遼東半島の旅順・大連などを、イギリスは威海衛・九龍半島を、フランスは広州湾をそれぞれ租借しました。アメリカは1899年、国務長官ジョン=ヘイが清国に対し門戸開放・機会均等・領土保全を宣言し、中国の利権に割り込もうとしました。こうして列強は租借地を中心に鉄道敷設権や鉱山採掘権などを得て、清国の権益を拡大していきました。
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『日本史用語集』 山川出版社
『詳説日本史』 山川出版社

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