スレイマン1世の時代
次の第10代スルタン
スレイマン1世(在位1520~1566)の時代に、帝国は最盛期を迎えます。
(スレイマン1世)
まず、スレイマンはバルカン地方の制圧にあたり、
モハーチの戦いでハンガリー王を敗死させ、支配領域を広げ、以後160年にわたりこの地は帝国の領土になります。
続いて、1529年にはヨーロッパ侵攻を本格化させ、
神聖ローマ帝国の首都
ウィーンを包囲します。この出来事を
第1次ウィーン包囲といい、12万人の軍人が一ヶ月にわたり首都を包囲しました。寒さのため、スレイマンの軍勢は撤退を決断しますが、この時以来、ヨーロッパはオスマン帝国を危険視し、「トルコの脅威」として認識されるようになりました。
(第1次ウィーン包囲)
1533年には
北アフリカ、1534年には
タブリーズ・バグダードを制圧し、イラン・イラク地方を支配下に置きます。
そして、1538年にギリシア西岸の地で
プレヴェザの海戦が起こり、オスマン帝国海軍は、
スペイン・ヴェネツィア・ローマ教皇の連合軍を破ります。
このように、1571年に
レパントの海戦で敗れるまで、オスマン帝国は広大な地域を支配するようになりました。