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17_80 近世の社会・文化と国際関係 / 江戸時代

【化政文化】 受験日本史まとめ 49

著者名: Cogito
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儒学と教育

儒学では、折衷学派のあと考証学派が盛んになりました。幕府は寛政の改革で朱子学を正学とし、1797年(寛政9年)に官立の昌平坂学問所を開き、幕臣の教育機関としました。藩学では、閑谷学校や郷学も作られるようになりました。民間でも私塾が開かれ、大坂の懐徳堂では山片蟠桃らなど既成の教学を批判的に捉える異色の学者を生み、学頭の中井竹山は政治上の意見書を幕府に出しました。他にも広瀬淡窓の咸宜園や、吉田松陰が受け継いだ松下村塾も幕末の思想家を多く育てました。庶民も寺子屋に通うようになり、女子教育も盛んになりました。京都の石田梅岩は商人のために町人道徳を平易な文章で記し、この心学は手島堵庵や中沢道二によって全国的に普及しました。

政治・社会思想の発展

この時代、行き詰った幕藩体制を批判的に論ずる思想が出てきました。八戸の医者安藤昌益は『自然真営道』を著し、海保青陵は『稽古談』で藩営専売を説き、本多利明は富国策を論じ、佐藤信淵は産業振興や海外進出を説きました。18世紀半ば以降には尊王論が唱えられるようになり、これは水戸藩の『大日本史』編纂事業からおこりました。この水戸学をはじめ、藤田幽谷が尊王は幕府権威を維持するために重要と説き、会沢安は対外危機に対応するため天皇中心の政治・宗教体制を構想し、藤田幽谷の子の藤田東湖や徳川斉昭も尊王攘夷運動に大きな影響を与えました。また、垂加神道を学んだ竹内式部は京都で若い公家に尊王論を説いて追放となった宝暦事件や、山県大弐は尊王論を説き幕府を批判したことから死罪となり、これを明和事件といいました。この他、尊皇思想を説いて全国をまわった後に自殺した高山彦九郎、天皇陵の荒廃を嘆いて各地を調査した蒲生君平、『日本外史』などの著作で尊王思想を説いた頼山陽らが現れました。

化政美術

この時代には、浮世絵が発達し、鈴木春信が錦絵を発明しました。喜多川歌麿・東洲斎写楽が優れた作品を残し、天保期には『富嶽三十六景』の葛飾北斎や『東海道五十三次』の歌川広重が出て、これら浮世絵はヨーロッパの印象派の画家たちにも多くの影響を与えました。従来からの絵画は、南画の影響を受けた文人画がおこり、池大雅と与謝蕪村の『十便十宜図』が著名です。のちに、谷文晁・田能村竹田・渡辺崋山が出て全盛期を迎えました。『雪松図屏風』『保津川図屏風』などを描いた円山応挙は円山派を創始し、写生画の様式を作り上げました。京都の呉春が創始した四条派は、幕末の上方豪商に重宝されました。西洋画も発達し、平賀源内や『不忍池図』の司馬江漢、『浅間山図屏風』の亜欧堂田善、小野田直武が代表的です。司馬江漢は、平賀源内に学んで銅版画を創始しました。

生活と信仰

繁栄する江戸を中心に都市文化が開花し、歌舞伎・芝居小屋・見世物小屋・寄席などが民衆の楽しみでした。また、寺院は縁日や開帳を催して人を集め、富くじも盛んになりました。
湯治や物見遊山など庶民の旅もはやり、伊勢神宮・善光寺・金比羅宮などの寺社参拝も行われました。伊勢神宮への御蔭参りや西国三十三ヶ所・四国八十八ヶ所めぐり、五節句・彼岸会・盂蘭盆・日待・月待・庚申講など、さまざまな民間信仰が娯楽としても楽しまれました。
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『詳説日本史』 山川出版社
『日本史用語集』 山川出版社

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