彫刻では、仏教彫刻の衰え、代わりに欄間彫刻が盛んになり
蒔絵を描いた家具や調度品など装飾性の強い作品が作られました。伏見城の遺構に建てられた高台寺霊屋の仏壇や調度品の蒔絵は高台寺蒔絵と呼ばれ、桃山美術の象徴的な作品です。また、豊臣秀吉の朝鮮侵略の際に、朝鮮から活版印刷術が伝わり、後陽成天皇の命により
慶長版本が出版されました。
安土桃山時代には、新興の武士らとともに裕福な町衆も文化の担い手となっていきました。
千利休(宗易)により
茶道が完成され、茶の湯は豊臣秀吉や諸大名に保護を受け流行し、茶室・茶器・庭園が各地に作られました。またこれにともなって、
花道や
香道も発展しました。庶民文化としては、出雲阿国が
かぶき踊りを創始し、やがてこれが女歌舞伎となっていきました。また
人形浄瑠璃も同時期に流行しました。
庶民は
小袖という衣服をまとい、やがて
着物が成立しました。武士の間では頭を広く剃り上げる
月代の風習が広まり、平屋が主だった住居は、京都などの大都市で2階建ての建築物となっていきました。
南蛮文化
安土桃山時代には、ヨーロッパの文化も流入し、
南蛮文化が開花しました。宣教師フランシスコ=ザビエルは大内義隆に
機械時計・眼鏡・火縄銃・葡萄酒・オルゴールなどを贈り、織田信長も安土で
オルガンや
クラヴォ、ヴィオラなどの楽器の演奏を聴いたと言われています。やがて庶民の中にも、煙草の風習や南蛮風の衣服を身につけるものも出てきました。宣教師たちは、
天文学・医学・地理学などの学問や、
油絵・銅版画の技法などを伝え、西洋画の影響を受けた南蛮屏風も描かれました。また、金属活字による活字印刷も宣教師ヴァリニャーニにより伝えられ、ローマ字による
キリスト教文学・宗教書の翻訳・日本語辞書・日本古典の出版などが行われました。イエズス会によって出版された書物をキリシタン版といい、特に天草で出版されたものを天草版と呼びました。南蛮文化の多くは発展しなかったものの、ポルトガル語は
カステラ・カッパ・カルタ・コンペイトウ・シャボン・パン・ラシャ・ジュバンなど日本語と同化し、現代に残っています。