はじめに
当時、天皇や皇族に対して謀反を働くことを
大逆罪と呼んでいました。これは大日本帝国憲法にもきちんと記載されていたことです。
大逆事件
1910年に、この大逆罪を受けて
幸徳秋水ら社会主義者/アナーキストが、明治天皇の暗殺を企てたとして逮捕・死刑にあった事件を
大逆事件と言います。
社会主義者を取り締まる理由
幸徳秋水は社会主義やアナーキズムを支持し、
無政府主義を唱えていました。
アナーキズムとは政治思想の1つで、国家のない社会を望むという考えです。
当時の政府が目指していたのは、天皇を中心とした主権国家でしたので、幸徳秋水の考えとは180度違ったところにありました。つまり社会主義の思想が当時の日本には目の上のたんこぶだったのでしょう。幸徳秋水らは、この大逆事件で逮捕・処刑されてしまいましたが、この事件は彼らを取り締まるために政府がでっちあげた事件であったことが後にわかっています。
大逆事件の後
大逆事件で社会主義運動家は多くの同士を失い、「
社会主義冬の時代」へと突入していくことになったのです。