教皇権の衰退と封建社会の崩壊で押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
ローマ教会の腐敗と異端キリスト教
・中世後期になると、ローマ教会の腐敗が進み、それを批判する宗派が各地に成立した。南フランスや北イタリアで広まった
ワルド派、
マニ教の影響を受け、バルカン半島や南フランスに広まった
アルビジョワ(カタリ)派などである。
・1215年、
インノケンティウス3世が
第4回ラテラン会議を招集し、第4回十字軍の派遣や、異端審問の推進が決まり、密告制や拷問が各地で行われるようになった。また、インノケンティウス3世は、異端撲滅のための
アルビジョワ十字軍を提唱し、フランス王が中心となり討伐が行われ、アルビジョワ派は衰退した。
王権の伸長と教皇権の没落
・13世紀の
教皇ボニファティウス8世(在位1294〜1303)は、聖職者に対する
課税問題で、王権に対しカトリック教会の優越と教皇権の絶対性を主張し、フランス王
フィリップ4世(在位1285〜1314)と対立した。
・フィリップ4世は聖職者に対する課税を企て、1302年に初の
三部会を招集、
1303年にはボニファティウス8世をローマ近郊の
アナーニで捕囚し、憤死させた。これを
アナーニ事件といい、教皇権没落のきっかけとなった。
・アナーニ事件後、王権の伸長にともない、フィリップ4世は
1309年にボルドー出身の
教皇クレメンス5世(在位1305〜1314)を南フランスの
アヴィニョンに移転させ教皇庁を設置した。これを「
教皇のバビロン捕囚(アヴィニョン捕囚)」といい、以後7代69年間にわたり、ローマ教皇がフランス王の監視下に置かれることとなった。
・1378年には、グレゴリウス11世により教皇庁がローマへと戻されたが、その後イタリア人のウルバヌス6世が選出されると、フランスは対立教皇クレメンス7世をたて、再度アヴィニョンに教皇庁を設置した。フランス・イベリア諸国・ナポリ・スコットランドはアヴィニョン教皇庁支持、イタリア諸国・ドイツ諸侯・イングランドはローマ教皇庁支持となり、
教会大分裂(大シスマ)が決定的となった。教会大分裂は1378年から1417年まで続き、
コンスタンツ公会議で再統一されたが、教皇の権威は失墜した。
・こうした状況下で教会の世俗化や腐敗は進み、各地でカトリックの改革運動がおこった。14世後半、イギリス
オクスフォード大学の神学教授
ウィクリフは、教皇権を否定し、教会が世俗的な富を持つことを批判した。ウィクリフの主張に共感した
プラハ大学の神学教授
フスは、ローマ教皇による免罪符販売を批判した。
・ドイツ皇帝
ジギスムントにより開かれた
コンスタンツ公会議(1414〜1418)は、教会分裂を終わらせる会議となったが、同時にフスの焚刑を決定した。フス派の人々はこの処刑に怒り、ジギスムントがその後ベーメン王を兼任すると、フス派のプラハ市民が立ち上がり、
フス戦争(1419〜1436)がおこった。
封建社会の崩壊
・12世紀以降、農業生産の増大による
余剰生産物が増え、
商業や
都市の発達や
十字軍に伴い発展した
遠隔地商業などにより、
貨幣経済が普及していった。
・貨幣経済の普及により、
貢納や
賦役に依存していた荘園領主も経営方法を変える必要に迫られ、従来の賦役を
生産物地代や
貨幣地代に切り替えた。こうして
古典荘園から
純粋荘園への変化が起こり、貨幣を蓄えた農奴の中には、
領主裁判権・死亡税・結婚税など、隷属的身分から自由になるものも増えてきた。
・この
農奴解放は、14〜15世紀になるとさらに促進された。
百年戦争・バラ戦争・ペストの大流行などにより人口が激減したため、領主は農業労働力不足に直面し、農民の土地保有権の強化や保有地の売買・貸借を認めるなど、地位の改善を図った。これを
封建制の危機といい、これ以降領主は
地主化し、農奴もわずかな地代を納めれば身分的に自由な
独立自営農民(ヨーマン)となっていった。イギリスでは平民であるが豊かな地主層の
ジェントリという階級が現れ、貴族とともに王権の伸長を支えた。
・貨幣経済の普及に伴う変化に対し、貧窮した領主は、農民への支配と搾取を再強化する
封建反動をおこなった。封建反動に対し農民たちは1358年指導者ギヨーム=カールに率いられた北フランスの
ジャックリーの乱、1381年指導者ジョン=ボールの思想に共鳴したイギリスの
ワット=タイラーの乱など農民一揆を起こし、対抗した。
・農民が身分上の自由を獲得するにつれ、荘園制は崩壊し、領主や騎士の政治・経済的基盤が崩れていった。中世ヨーロッパの戦闘で活躍した
騎士階級は、
14〜15世紀に
火砲(大砲・小銃)が発明されると、農兵からなる歩兵戦が主戦となり、存在意義を失っていった。また、一部の騎士は国王の宮廷で働く
廷臣(官僚)となっていったが、自立性を失った。戦争では金銭で雇用される傭兵も投入されるようになり、戦術の変化が騎士階級の没落を促進させた。