モンゴル帝国の発展
モンゴル帝国の君主に就いたチンギス=ハンは、それまでの部族制度を改め、
千戸制という新しい軍事・行政制度を確立しました。
千戸制はモンゴル帝国を95の千戸集団に分けて、そこからさらに百戸、十戸に分割し、それぞれに長を置き責任をもたせたのです。これによって各戸がそれぞれ行政組織、軍事組織双方で機能するようになりました。
モンゴル帝国は、ユーラシア大陸の東西に拡大していきます。
(モンゴル帝国の拡大)
まず1209年に黄河上流の
西夏を、1218年に、中央アジアにあった
西遼をそれぞれ滅ぼします。
その結果、モンゴル帝国はイスラム世界と中国王朝に接するようになりました。
この後もモンゴル軍は快進撃を続けます。
1221年にイラン地方のイスラム王朝だった
ホラズムを滅ぼし、西北インドにまで侵入しました。
驚くべきことに、ホラズムに進軍する一方で、中国王朝金にも侵攻していったのです。
しかし、金の攻略に熱心だったチンギス=ハンは、この進軍中、甘粛省の
六盤山で死去します。
おわりに
チンギス=ハンに率いられたモンゴル軍は、快進撃を続けながら帝国の領土を拡大していきました。チンギス=ハンの死去後も、彼の息子たちによって遠征は続けられ、モンゴルはユーラシアの大部分を支配下に置くようになっていきます。