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4_80 古代までの日本 / 飛鳥時代・奈良時代

遣隋使が派遣された理由・目的

著者名: 早稲男
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遣隋使

飛鳥時代に、中国を支配していた「」(ずい)という国がありました。この隋はとても大きな国でしたので、隋の文化を学びに行こうというのがおもな目的でした。
遣隋使は文化交流のために送られた


小野妹子は隋のトップに怒られた?

さて、遣隋使として有名なのは小野妹子(おののいもこ)でしょう。
607年に、聖徳太子の命をうけて隋にわたったとされています。

このとき持っていった聖徳太子からの国書の内容をみて、隋のトップだった煬帝(ようだい)は大激怒したといわれています。

「日出ると処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや」

これを訳すと、「日が昇る国の天子が日が沈む国の天子に書をおくります。お元気ですか?」となります。

国書の始まりのこの文章をみて、煬帝は激怒したようです。
一説には、「日が沈む国と言われて、相手から下に見られた」や、「下っ端と思っていた国に対等な目線で話しかけられた」ことに腹がたったといわれています。

大使としての役目をきちんと果たそうと思っていた小野妹子、たいそうびっくりしたでしょうね。「無礼だ!」といって殺されてもおかしくはないレベルです。しかし運がよかったのか、小野妹子は隋の使者をつれて帰国します。

608年のことでした。
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『日本史用語集』 山川出版
『新詳日本史図説』 浜島書店
『新しい社会 歴史』 東京書籍
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