世界の歴史 第1分冊(改訂稿) 序文・序章
序文 現代世界と世界史
1 歴史の最先端に立つ私たち
私たち一人ひとりは、人類が歩んできた長い時間の流れの、いちばん新しい地点に立っています。昨日までの出来事が今日の現実をつくり、今日の選択が明日の社会の姿を決めていく以上、私たちは日々、流れゆく時間が歴史へと姿を変える境目を生きているといえます。自分が歴史と地続きであるという感覚は当たり前のようでいて、忙しい日常の中ではつい薄れてしまいがちです。しかしその感覚を取り戻すことが、世界史を学ぶ出発点になります。
ここで、歴史という言葉の意味を少し掘り下げておきましょう。過ぎ去った出来事そのものは、もはや取り戻すことができません。私たちが手にできるのは、記録や遺物、記憶といった手がかりを通じて、過去を問い直し、物語として再構成したものにすぎません。つまり歴史とは、過去そのものではなく、過去についての問いと答えの積み重ねなのです。だからこそ、同じ出来事であっても、問いの立て方や手がかりの読み方が変われば、歴史の姿は変わり得ます。私たちが最先端に立っているということは、過去の出来事の当事者であるだけでなく、未来の人々から見れば、やがて問い直される対象にもなる、ということでもあります。この二重の位置に自覚的であることが、歴史を学ぶ姿勢の第一歩となるでしょう。
つながりは時間の面だけではありません。私たちが暮らす場所は、たとえ日本の小さな町であっても、その土地だけで閉じた空間ではありません。インターネットの広がりを思い浮かべれば明らかなように、私たちは意識するしないにかかわらず、地球大の空間と結ばれて生活しています。遠い地域で起きた紛争や不作、感染症の流行や通貨の変動は、めぐりめぐって私たちの食卓や家計、仕事にまで影響を及ぼします。言い換えれば、私たちは世界中の人々と同じ時代の空気を吸いながら生きているのです。では、その現代世界とはどのような世界なのか。まず、その現状認識として広く共有されている見方を確認することから始めましょう。
この結びつきは、一方通行のものではありません。世界の出来事が私たちに影響するだけでなく、私たちの消費や選択、発信もまた、遠く離れた土地の人々の暮らしに影響を及ぼしています。衣服や食料、電子機器といった身近な品々の多くは、原材料の採取から加工、輸送に至るまで、幾つもの国と地域を経て私たちの手元に届きます。その途中のどこかで紛争や干ばつ、労働条件の問題が生じれば、それは価格や供給の形で跳ね返ってきますし、逆に、私たちの側の需要のあり方が、生産地の環境や人々の働き方を左右することもあります。世界と結ばれているということは、影響される側であると同時に、影響する側でもあるということです。
2 SDGsが示す現代世界の課題
2015年9月、国連は「我々の世界を変革する――持続可能な開発のための2030アジェンダ」を採択しました。これは、世界が直面する深刻な課題について、2030年までに達成すべき目標とその方法を定めた文書です。これを受けて2016年1月、17項目からなる持続可能な開発目標、英語の頭文字をとってSDGsと呼ばれる目標群が発効しました。この壮大な計画が土台としている現状認識は、厳しいものです。
第一に、いまなお数十億人もの人々が貧困の中で暮らし、人間らしい尊厳のある生活を送ることができていません。第二に、不平等が各国の内部でも国家間でも広がっており、機会や富や権力の偏りは著しいものがあります。第三に、ジェンダーの平等はいまだ達成への鍵となる課題であり続けています。第四に、失業、とりわけ若い世代の失業が大きな懸念となっています。さらに、地球規模で健康を脅かす事態、より頻繁に起こり被害も大きくなる自然災害、悪化する紛争、暴力的な過激主義やテロリズムに伴う人道上の危機、そして人々が住まいを追われる強制的な移動は、過去数十年にわたる開発の前進を逆戻りさせかねないものとして挙げられています。加えて、天然資源の減少や、砂漠化、干ばつ、土壌の劣化、淡水の不足、生物多様性の喪失といった環境の悪化が、人類の課題をいっそう増やし、深刻にしています。そして気候変動は私たちの時代における最大級の課題の一つであり、すべての国が持続可能な開発を成し遂げる力を損なうものと位置づけられています。
ここに挙げられた課題の顔ぶれを見ると、一つの特徴に気づきます。貧困、不平等、ジェンダー、雇用、健康、災害、紛争、環境、気候という項目は、互いに無関係に並んでいるのではありません。気候変動が農業を不安定にすれば食料価格が上がり、貧しい人々の生活を直撃します。紛争が起きれば人々は住まいを追われ、教育や医療の機会を失います。ジェンダーの不平等は、災害時の被害の受け方や、復興の過程での発言権にまで影響を及ぼします。課題が連鎖し合っているからこそ、2030アジェンダは、ばらばらの対策ではなく、統合された目標の束として設計されたのです。そしてこの連鎖という視点は、実は歴史を読み解く際の視点とよく似ています。歴史上の出来事もまた、単独で起こるのではなく、前の出来事の帰結として生まれ、次の出来事の条件となっていくからです。
こうした問題は多方面にわたり、一国や一部の国々の利害の調整だけで解けるものではありません。解決のためには、国ごとの利害を超えた協力と、人類の叡知の結集が欠かせないことは明らかです。ここで少し立ち止まって考えてみましょう。これらの問題は全く新しいものなのでしょうか。要因や淵源、規模や様相は異なるとしても、似たような問題に直面した社会の経験と、そこから得られた経験知は、これまでの世界史の中にこそ探すことができるのではないでしょうか。この点にこそ、現代世界の課題を解くにあたって世界史が十分に参照する価値をもつ理由があります。以下、いくつかの例を見ていきます。
もう一つ付け加えておきますと、このアジェンダが画期的だったのは、発展途上国だけに向けられた目標ではなかった点です。先進国を含むすべての国が、自国の貧困や不平等、環境への負荷を問われる仕組みになっています。つまりSDGsは、世界のどこか遠くの問題ではなく、私たち自身の社会のあり方を映す鏡でもあるのです。その意味でも、これらの課題を「現代の問題」としてだけではなく、「歴史の問題」として捉え直す作業は、私たち自身の現在地を確かめる作業にほかなりません。
3 歴史の中の現代的課題
貧困と不平等は、人類の歴史を初めから終わりまで貫いてきた主題といってよいでしょう。古代以来の思想家たちが繰り返し論じてきた主題であり、歴史家たちが粘り強く取り組んできた主題でもあります。そこから得られた知見は、現代の貧富の拡大を考えるときにも欠かすことができません。
歴史家たちは、この主題にさまざまな角度から光を当ててきました。古代や中世の社会では、貧しさはしばしば宗教的な意味づけを与えられ、施しや救済は共同体の義務とされました。やがて市場の広がりとともに、貧困は個人の怠惰のせいなのか、社会の仕組みの産物なのかという問いが、本格的に問われるようになります。飢饉の記録、穀物価格の変動、救貧制度の変遷、労働者の生活水準をめぐる論争。こうした蓄積があるからこそ、現代の格差を、単なる景気の波ではなく、長い時間をかけて形づくられた構造として捉えることができるのです。不平等の姿も時代ごとに変わります。身分による固定した格差、植民地支配のもとでの格差、産業化の過程で生まれた格差、そして今日の金融や情報技術を軸とする格差。形は変われども、富と機会の偏りが人々の人生の可能性を大きく左右してきた点は変わりません。
ジェンダー平等については、率直に認めなければならない空白があります。歴史の叙述そのものにおいても、性別による不平等は長く当然視され、実現を見ないまま来ました。しかし近年ようやく、歴史の全体像を描くにはジェンダーの視点が不可欠であることが強く主張されるようになってきました。この分野は今後の発展が大いに期待されるところです。
ジェンダーの視点が加わると、これまで見えていた歴史の風景そのものが変わって見えることがあります。戦争や政治といった表舞台の出来事の陰で、生産や再生産、すなわち食料を作り、子どもを育て、共同体を維持する営みが、歴史の底流をなしてきたことが明らかになるからです。また、文字記録の多くが男性の手によって残されてきたという、史料そのものの偏りも意識しなければなりません。沈黙は不在を意味しません。記録に残りにくかった人々の存在を、考古学の成果や、文書の行間を読む作業を通じて復元しようとする試みが、この分野を押し広げてきました。
現代の紛争や集団的な暴力についても、歴史の視点は有効です。資源や権力をめぐる争い、あるいは大国の思惑だけで、今日の紛争を説明し切ることはできません。その背景には多くの場合、アジアやアフリカの地域における、かつての植民地支配が残した構造のような、歴史的に形づくられた条件が横たわっています。これを理解しなければ、解決への道は開けません。
植民地支配の遺産は、さまざまな形で残ります。宗主国の都合で引かれた国境線が、言語や宗教を異にする人々を一つの国家に押し込めたり、逆に一つの共同体を引き裂いたりした例は少なくありません。特定の集団を行政や軍隊に登用し、別の集団を周縁に追いやるといった統治の手法は、独立後も政治の対立軸として生き続けました。資源の収奪を前提に組み立てられた経済構造も、独立だけでただちに変わるものではありません。現代の紛争の火種の多くは、こうした歴史の地層の上に置かれているのです。
地球規模の健康への脅威について、世界史は強烈な先例を教えてくれます。14世紀に入ると、ペスト、すなわち黒死病がユーラシア大陸の東西に広く蔓延し、各地の国家や社会に甚大な打撃を与えました。疫病は単なる病気の流行ではなく、人口と経済と人々の心性を根底から揺るがす歴史の事件だったのです。
実際、ペストの猛威は、ヨーロッパや中東の各地で人口の大きな落ち込みをもたらし、労働力の不足を通じて賃金や地代の関係を揺るがしました。農民の立場が強まる地域もあれば、逆に支配の締めつけが強まる地域もありました。人々の宗教的な心性も大きく変容し、死生観や芸術の主題にまで影響が及びます。疫病が社会の仕組みそのものを変えてしまうというこの経験は、現代の私たちにとっても、決して他人事ではありません。
気候変動についても同様です。当時の人々がそれを気候変動と自覚していたかどうかは別として、人類は絶えず気候の変化への対応を迫られてきました。気候の悪化がある地域に社会・経済の停滞をもたらすこともあれば、人々の集団的な移動を促すことで、それ自体が歴史的出来事の原因となることもありました。ただし、現代の気候変動には一つの際立った特徴があります。それは、近代以降の大規模な工業化という、人為的な要因が大きく関わっているという点です。
自然災害も、人々が絶えず各地で経験してきたものです。そして歴史をたどると、災害は純粋に自然の出来事として起こったのではなく、しばしば人為的な要因が絡んでいたことが分かります。被害の後、人々がどのように立ち直ったのか、あるいは復興を果たせなかったのかという点も、私たちにとって重要な知見です。2011年の東日本大震災、いわゆる3.11以後、日本の歴史研究者の関心が、それまであまり顧みられてこなかった災害の歴史へと向かうようになったことは、心強い変化といえます。
環境の悪化については、私たち自身が目撃者となっている例があります。かつて世界で4番目に大きな内陸湖だったアラル海は、いまや見る影もなく縮小し、その一帯は乾燥化しました。原因は、ソ連時代に綿花栽培を過度に拡大したことにあります。綿花畑への灌漑のため、中央アジアの高山地帯の雪解け水を源流とし、アラル海に注いでいた2つの河川(アム川とシル川)の水が、湖に届く前に使い尽くされてしまったのです。ソ連は、2017年でちょうど100周年を迎えたロシア革命によって成立した国家でした。当初それは、まさに世界を変革することを目指した国家でありましたが、そのユートピア的な構想は、結果として史上最大ともいえる規模の環境破壊を招いてしまいました。この一例だけでも、世界史から学べることの多さが分かるでしょう。
アラル海の事例が投げかける問いは、単に一つの湖の消失にとどまりません。縮小した湖底からは塩分や農薬を含んだ砂塵が舞い上がり、周辺住民の健康を損ない、かつて湖で栄えた漁業は成り立たなくなりました。一つの開発政策の決定が、生態系と地域社会の将来を数世代にわたって規定してしまう。この事例は、人間の意図と、その意図せざる結果との落差こそが、歴史を動かす大きな要因の一つであることを教えています。そしてこの教訓は、環境問題に限らず、本書で扱うあらゆる時代と地域に通じるものといえるでしょう。
4 世界の一体化からグローバル化へ
SDGsにはもう一つの特徴があります。それは、地球規模の問題を、すべての人がともに考え、ともに行動するよう呼びかけた点です。その前提にあるのは、世界が一体化し、グローバル化したという認識です。では、この世界の一体化は、いつ、どのようにして起こったのでしょうか。これもまた世界史の問いです。
一般に、世界の一体化は、ユーラシア大陸とアメリカ大陸との間の交流が始まった16世紀を起点として考えられてきました。しかし最近では、それに先立つ時代の動きにも関心が向けられるようになっています。代表的なのが、13世紀から14世紀にかけてのモンゴル帝国の時代です。この時代には、アフリカを含むアフロ・ユーラシア大陸の規模で、政治や経済、文化にわたる交流が生まれました。たとえば、アデン港を拠点に多角的な交易を営んでいたイエメンでは、トルコ系の出自をもつ地方王朝の君主が、14世紀の後半に、アラビア語、ペルシア語、トルコ語、ギリシア語、アルメニア語、モンゴル語の6言語からなる多言語辞書を作成させていました。多言語の辞書が必要とされたこと自体が、当時の交易と交流の広がりを物語っています。また、この時代に集められた地理情報の中では、アフリカ大陸の存在も認識されていたことが分かっています。
こうした交流を支えた仕組みにも目を向けておきましょう。モンゴル帝国のもとでは、駅伝の制度がユーラシアの広い範囲に整備され、商人や使節、職人、宗教者が大陸を横断して移動するようになりました。各地の王宮には多様な出自の人々が集い、天文学や医学、技術の知識が言語の壁を越えて伝わります。交流の拡大は、良いものだけを運んだわけではありませんでした。ペストのような疫病もまた、この交流の網の目を伝って広がっていったと考えられています。先ほど触れた14世紀の黒死病は、まさにこの時代の結びつきの深さの裏面だったのです。つながることの光と影は、この時代にすでに現れていました。
ここで強調しておきたいのは、世界の一体化は、もっぱらヨーロッパが主導権を握って進めたものではないという点です。同時に、その過程が平和な交流だけで進んだのでもありません。世界の一体化は、暴力や強制、支配と従属という矛盾や対立を伴いながら進行してきたのが事実であり、その性格はグローバル化した現代においても変わってはいません。
16世紀以降の過程についても、同じことがいえます。大陸間を往来するようになった船は、作物や家畜、金属や製品を運ぶと同時に、天然痘や麻疹(はしか)といった病原体をも運びました。免疫をもたなかったアメリカ大陸の先住民社会は、疫病によって壊滅的な人口減少に見舞われます。労働力の不足を補うためという名目のもと、アフリカから人々を強制的に連行する奴隷貿易が拡大し、支配と従属の構造は大西洋規模に組み替えられていきました。世界の一体化とは、このように、結びつきの拡大と暴力の拡大が表裏一体となった過程だったのです。この二面性を見失わないことが、グローバル化を歴史的に考える際の出発点となります。
長い歴史を通じて世界の一体化が進んできたとすれば、その流れの中には当然、日本も含まれているはずです。日本は世界史の流れの中でどのような位置にあり、外の世界とどのような関係を結び、どのような役割を果たしてきたのでしょうか。考え始めれば、問いは尽きることがありません。日本では長い間、世界史と日本史を別の科目として教え、学んできました。大陸から離れ、海に囲まれた日本列島という地理的な条件もあって、この二分法を自然なものとして受け入れてきたのかもしれません。しかし、日本列島に暮らした人々も、やはり世界の同じ時代の空気を吸って生きてきたのです。世界史と日本史を切り離して考えることは、本来できないことです。日本史を世界史の大きな流れの中に置き直してみれば、これまで見えなかった関係が見えてくるにちがいありません。自己完結しているかのように見える日本史を、より客観的に眺めるうえでも、それは有効な方法です。とりわけ19世紀後半以降の近代については、日本史と世界史という従来の枠を超えて考えることが大切です。現代の日本がどのようにして出来上がったのかを考えるうえで、これは欠かすことのできない姿勢といえます。
振り返ってみれば、日本列島の歴史は、つねに外の世界との関わりの中で形づくられてきました。稲作や金属器、漢字や仏教の伝来は大陸の動きと連動していましたし、モンゴルの襲来はユーラシア規模の帝国の膨張の一断面でした。鉄砲の伝来や南蛮貿易は大航海時代の波の一部であり、19世紀の開国と明治維新は、西洋列強のアジア進出という世界的な圧力への応答でした。そして20世紀の戦争と戦後の復興、高度経済成長もまた、世界の政治経済の構造と切り離しては理解できません。日本史の節目節目に目をやるたびに、背後には世界史の大きなうねりが広がっているのです。
このように、世界史を理解することは、日本を含めた現代世界が直面する課題を考えるときに役立つだけではありません。グローバル化した現代世界を生きていくうえで、欠かすことのできない基礎でもあります。歴史学を含む人文学は、いったい何の役に立つのかと問われることの多い現在において、これは私たちが答えるべきことの一つでしょう。
この問いは、本書の読者一人ひとりに向けられたものでもあります。世界の一体化の歴史をたどることは、自国中心の見方から一歩離れ、自分の立つ位置を相対化する訓練になります。他の地域の人々が、同じ出来事をどのように経験し、どのように記憶してきたかを知ることは、異なる立場の人々と対話するための土台です。世界史は、現代世界の地図を読み解くための、いわば羅針盤のようなものといえるでしょう。
5 文化としての世界史
もっとも、すべての人が、このような問題意識をもって世界史を学ぶわけではありません。しかし、冒頭に述べたように私たちはみな歴史と繋がっているのであって、文字をもたなかった時代から、人々が自分たちの集団の過去や記憶を語り継いできたことを思えば、歴史への関心は人間の存在そのものに深く根ざしたものといえます。
文字をもたない社会にも、過去を伝える工夫がありました。神話や伝説、系譜の暗誦、祭祀や儀礼の反復、記念物や地名に込められた記憶。こうした口承の伝統は、語り手の世代交代とともに少しずつ姿を変えながらも、集団の起源や規範を伝える役割を果たしてきました。歴史への関心は、文字の発明とともに始まったのではなく、人間が集団として生きることとともに始まった、と言い換えることもできるでしょう。文字記録だけが歴史の手がかりではないというこの点は、先史時代を扱う序章の叙述とも深く関わっています。
その一例が、ユネスコの主導する世界文化遺産です。登録された遺産はいまや世界中に広がっています。そこには、現代の国家が歴史を資産として活用するという側面があることは確かです。それでも、遺産を訪れる人々の歴史的な想像力をかきたてていることは疑いありません。たとえば、アフガニスタンのバーミヤンにあった大仏像は、2001年にターリバーン勢力によって爆破されてしまいました。しかし、東京藝術大学の研究チームは、その大仏のあった石窟の見事な天井壁画を復元することに成功しました。それを見れば、かつてこの地域で、どれほど壮大な文化交流が展開されていたかを実感することができるでしょう。また今日では、世界史を題材にしたアニメや漫画が広く受け入れられています。文化としての世界史は、人々の関心や興味を引かずにはおかないのです。
バーミヤンの事例について、もう少しだけ背景を述べておきます。バーミヤンは、中央アジアの山岳地帯に位置する、東西交易路の要衝でした。大仏が造られた時代、この地は仏教文化が花開く交差点であり、中国の僧侶がインドへ向かう途上に立ち寄ったことでも知られます。石窟の天井壁画に、東西の美術様式の混じり合った表現が見られるのは、まさにこの地が文化の交わる場所だったからにほかなりません。破壊された遺産の復元が私たちに突きつけるのは、文化の多様な交流の豊かさと、それが暴力によって一瞬で失われ得ることの、両方なのです。
なお、本書の編集にあたっては、世界史に関心をもたれる幅広い読者を想定し、構成は基本的に現行の高等学校教科書『詳説世界史』に準拠して、最新の研究成果を取り入れながら、教科書の内容を深掘りする形で叙述が組み立てられました。対象が膨大である以上、世界史の叙述のあり方は本来多様であるはずであり、一つの本が示すのはその一例にすぎません。読者の皆さまには、どこからでも、関心をもたれたところから読み進めていただきたいと思います。本稿もまた、この方針を受け継ぎ、事実関係と収録範囲を基礎資料に学びながら、文章そのものは全て独自に書き起こした、オリジナルの叙述です。2017年以降の新しい知見については、権威ある英語資料にもとづく補強を、各所に織り交ぜて示します。