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17_80 近世の社会・文化と国際関係 / 江戸時代

参勤交代とは?目的と仕組み、大名の負担が持った意味をわかりやすく解説【1分でわかる日本史】

著者名: かわちゃん
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参勤交代(さんきんこうたい)とは、江戸時代に、大名が一年ごとに江戸と領地を行き来することを義務づけられた制度です。1635年、三代将軍・徳川家光のときに武家諸法度で定められました。大名にとっては重い負担で、その負担は大名の力を抑える効果も持ちましたが、制度の軸にあったのは将軍に仕える務(軍役=ぐんやく)めでした。この記事では、参勤交代の目的と仕組み、大名の負担の実態を、「1分でわかる要約」と「深掘り解説」の2段構成でまとめました。

この記事は2段構成です。最初の「1分でわかる参勤交代」だけで、要点がつかめます。

さらに深掘りでは、次の3つのポイントを考察していきます。

・大名の負担は、幕府にとってどんな意味を持ったのか

・大名の負担はどれほど重かったのか

・なぜ江戸に妻子を置かせたのか


1分でわかる参勤交代


参勤交代とは、一言でいえば、大名が将軍のもとへ交代で出仕し、将軍と大名の主従関係を形にした制度です。

一年ごとに江戸と領地を往復する

大名は原則として一年ごとに江戸と自分の領地を行き来し、江戸にいる間は将軍のもとに出仕しました。1635年、徳川家光のときに武家諸法度で明文化された制度です。

軸にあるのは軍役、つまり将軍への務め

参勤交代は、大名が将軍に軍事的に仕える務め、すなわち軍役(ぐんやく)として位置づけられていました。江戸へ出向くこと自体が、将軍の家臣であることを示す行為だったのです。

正室と世継ぎは江戸に住まわせる

大名の正室と世継ぎは、江戸に住むことが義務づけられました。人質を置くのに近い意味を持ったと説明されます。


大名の負担は確かに重いものでした。行列の費用と江戸での二重生活が藩の財政を圧迫し、加賀藩の行列は2500人を超えることもあったといいます。幕府から見ると、この負担には大名の力を抑える効果もありました。

おまけトリビア

大名の全員が毎年江戸へ通ったわけではありません。江戸に近い関東の大名は半年ごとの交代、遠い対馬藩は数年に一度。大名によって、周期は違っていたんです。


ここから深掘り


ここまでが1分の要約です。ここからは、参勤交代をもう一歩深く知りたい方向けに解説します。

参勤交代の背景


大名は、自分の領地では統治者ですが、江戸に出向けば将軍の家臣です。家臣が主君のもとへ出向いて忠誠を示すという形を、江戸幕府は大名に義務として課しました。これが参勤交代で、幕府にとっては大名を統制する手段でもありました。

制度としての区切りは1635年です。徳川家光武家諸法度を改め、大名が江戸で交代することを条文に明記しました。ただし、このとき対象になったのは外様大名で、譜代大名にも参勤が義務づけられたのは1642年のことです。

仕組みと流れ


出来事
1635年武家諸法度の改定で制度化(徳川家光)
1642年譜代大名にも参勤を義務づけ
1722年上米の制により、江戸滞在を半年に短縮
1730年上米の制を取りやめ、もとの制度に戻る
1862年三年に一度・江戸滞在100日に緩和


大名が江戸にいる期間を在府(ざいふ)、領地にいる期間を在国(ざいこく)といいます。原則は一年おきの在府・在国で、交代の時期はおおむね毎年4月と定められていました。

大名の行列が泊まる宿場町の施設は、本陣と呼ばれました。参勤交代は大名にとって重い負担でしたが、その一方で街道などの交通が整い、宿場町が栄えるきっかけにもなりました。

1722年(享保7年)には上米(あげまい)の制が出されます。石高1万石につき100石の米を納めさせるかわりに、江戸滞在を半年に縮めるという取引でした。この措置は1730年に取りやめられ、制度はもとに戻ります。

史実と学説


参勤交代といえば「幕府が大名の財力を削ぐために行わせた」という説明が広く知られています。負担が重かったこと自体は確かです。往復の行列と江戸屋敷での二重生活は、藩の支出を大きく押し上げました。

この負担は、幕府に対抗しうる大名の力を弱め、大名を統制するうえで大きな効果を持ちました。ただし、制度化の目的として位置づけられていたのは、将軍に仕える軍役です。財力を削ぐためだけの制度と見ると、参勤交代が将軍と大名の主従関係を形にした制度だったという面が見えなくなります。

トリビアの真相


原則は一年ごとの交代でしたが、江戸に近い関東の大名は半年ごと、遠く離れた対馬藩は数年に一度と、すべての大名が同じ周期で動いていたわけではありません。

制度そのものは、幕末に大きく崩れます。1862年、参勤は三年に一度・江戸滞在100日に緩和され、江戸に置かれていた妻子の帰国も認められました。その後もとに戻そうとする動きはありましたが、実効性を持たないまま江戸幕府の終わりとともに消えていきます。

試験に出るポイント

「1635年・武家諸法度・徳川家光」の3点セットが頻出。あわせて「正室と世継ぎの江戸居住」、上米の制で江戸滞在が半年に短縮されたことも問われます。目的を「大名の財力を削ぐため」だけで説明せず、将軍への軍役という位置づけもあわせて押さえておきましょう。

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日本史用語集 山川出版

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