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17_80 近世の社会・文化と国際関係 / 戦国時代・安土桃山時代

守護大名と戦国大名の違いとは?力の根拠から わかりやすく解説【1分でわかる日本史】

著者名: かわちゃん
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守護大名(しゅごだいみょう)とは、室町時代に幕府から守護に任命され、その職の権限をもとに領主へ成長した大名です。いっぽう戦国大名(せんごくだいみょう)とは、戦国時代に自分の実力で領国を支配した大名を指します。この記事では、守護大名と戦国大名の違いを、権力の根拠・支配のしかた・入れ替わりの3点から、「1分でわかる要約」と「深掘り解説」の2段構成でまとめました。

この記事は2段構成です。最初の「1分でわかる違い」だけで、要点がつかめます。

さらに深掘りでは、次の3つのポイントを考察していきます。

・守護大名はなぜ京に住んでいたのか

・「戦国大名のほうが支配が強い」と言い切ってよいのか

・どちらの呼び名も、当時は使われていなかった



1分でわかる守護大名と戦国大名の違い


ひとことでいえば、力の出どころが違います。守護大名の力は幕府の任命から来て、戦国大名の力は自分の実力から来ました。

守護大名=幕府のお墨付きが根拠

守護は、幕府が国ごとに置いた役職です。室町時代に入るとその権限が大きくなり、任国の武士を従えて領主のようになっていきました。地位のよりどころは、あくまで幕府から任じられたことにあります。守護大名の主な例としては、畠山氏、斯波氏、細川氏、島津氏などが挙げられます。

戦国大名=実力が根拠

戦国大名は、中央の権力と一線を画し、自分の力で領国をつかみました。土地を測る検地(けんち)を行い、その広さに見合った兵の負担を家臣に課します。家臣を城下に集め、独自の法である分国法(ぶんこくほう)を定める者もいました。主な例としては、伊達氏、武田氏、上杉氏、織田氏、今川氏(守護出身)などが挙げられます。

入れ替わりは「下剋上」

守護大名の中には、そのまま戦国大名へ転じた家もあります。しかし多くは、守護代(しゅごだい)や国人(こくじん)といった下の立場の者に地位を奪われ、没落していきました。この風潮が下剋上(げこくじょう)です。


守護大名は、幕府の権威と荘園(しょうえん)からの収入に頼っていました。だから幕府が揺らげば、足元も揺らぎます。戦国大名は、その足場ごと自分で作り直した存在でした。

おまけトリビア

「守護大名」は、当時そう呼ばれていた役職名ではありません。鎌倉時代の守護と区別するために、後の研究がつくった言葉です。当時の職名は、あくまで「守護」でした。


ここから深掘り


ここまでが1分の要約です。ここからは、両者の違いをもう一歩細かく見ていきます。

守護大名の力はどこから来たか

鎌倉時代の守護は、御家人(ごけにん)の軍事指揮などを担う、どちらかといえば事務方に近い存在でした。それが南北朝の動乱を通じて変わります。他人の田の稲を刈り取る実力行使を取り締まる刈田狼藉(かりたろうぜき)の検断、幕府の判決を現地で執行する使節遵行(しせつじゅんぎょう)、任国全体に課税できる段銭(たんせん)の徴収権。こうした権限が次々と加わり、守護は任国の武士を家臣として組み込んでいきました。

ただし、その権限はどれも幕府が与えたものです。ここが決定的でした。しかも幕府は、九州と東国を除く守護に在京を求め、幕政に参加させています。国もとの実務は守護代に任せきりになりがちで、領域の支配も家臣のまとめ方も、徹底したとはいえない状態にとどまりました。

戦国大名は何を変えたか

15世紀後半、幕府の全国統治の秩序が崩れると、幕府の権威で地位を保っていた守護大名の支配も揺らぎます。かわって現れたのが、実力で領国を握った戦国大名でした。

戦国大名は、家臣の所領を認める権限を自分の手に集め、検地でその土地の高(たか)を把握し、高に見合った負担を課しました。家臣を本拠のまわりに住まわせて城下町をつくり、土地との結びつきを薄めていきます。争いごとを裁く基準を明文化した分国法を定めた大名もいました。「国もとに腰を据える」という一点だけでも、京にいた守護大名とは景色がまるで違います。

「戦国大名のほうが強い」は言い過ぎか

支配の徹底ぶりだけを見れば、戦国大名に軍配が上がります。ただし、それをもって両者を分けるのは正確ではありません。土地や人民をどこまで押さえたかの差はあくまで相対的なもので、決定的な違いは幕府との関係のあり方に求めるべきだ、という整理があります。

戦国大名の側にも限界はありました。家臣の中には大名の規制が及ばない独立性の高い者がおり、その従い方は安定しませんでした。分国法にしても、定めた大名は少数だったという指摘があります。

戦国大名の位置づけには、近世的な権力の先駆けとみる見方と、中世権力の最後の段階とみる見解の両方があり、決着していません。また「戦国大名」の定義そのものも、規模の大小をどう扱うかをめぐって検討が続いています。


どちらも後からついた名前

「守護大名」も「戦国大名」も、当時の史料に出てくる言葉ではありません。守護大名は、鎌倉幕府のもとの守護と対比して室町幕府の守護の性格をとらえるために、歴史学がつくった用語です。戦国大名という呼び方も同じで、後の時代から振り返って整理するために生まれました。テストでは並べて問われる2語ですが、どちらも歴史を整理するために後からつくられた物差しだ、と知っておくと見え方が変わります。

試験に出るポイント

「守護大名=幕府から任命された権限が根拠」「戦国大名=自分の実力が根拠」の対比が最頻出です。あわせて、守護大名が守護代や国人に取って代わられた動きを下剋上と呼ぶこと、戦国大名の政策として検地・城下町・分国法が挙がることを押さえましょう。

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日本史用語集 山川出版

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