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大鏡『菅原道真の左遷(都府楼の鐘)』のわかりやすい現代語訳と解説
著作名: 走るメロス
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『菅原道真の左遷(都府楼の鐘)』

このテキストでは、大鏡の一節『菅原道真の左遷』の「筑紫におはします所の御門固めておはします。〜」から始まる部分の原文、現代語訳(口語訳)とその解説を記しています。書籍によっては『都府楼の鐘』と題するものもあるようです。



※大鏡は平安時代後期に成立したとされる歴史物語です。藤原道長の栄華を中心に、宮廷の歴史が描かれています。

原文

筑紫におはします所の御門固めておはします。大弐の居所は遥かなれども、楼の上の瓦などの、心にもあらず御覧じやられけるに、又いと近く観音寺といふ寺のありければ、鐘の声を聞こし召して作らしめ給へる詩ぞかし、
都府楼纔看瓦色
観音寺只聴鐘聲

これは、文集の、白居易の、
遺愛寺鐘欹枕聴、香炉峰雪撥簾看


といふ詩にまさざまに作らしめ給へりとこそ、昔の博士ども申しけれ。又、かの筑紫にて、九月九日、菊の花を御覧じけるついでに、いまだ京におはしましし時、九月の今宵、内裏にて菊の宴ありしに、この大臣の作らせ給ひける詩を、帝かしこく感じ給ひて、御衣賜り給へりしを、筑紫にもて下らしめ給へりければ、御覧ずるに、いとどその折思し召し出でて、作らしめ給ひける、

去年今夜侍清涼
秋思詩篇独断腸
恩賜御衣今在此
奉持毎日拝余香


この詩、いとかしこく人々感じ申されき。



やがて彼処にて失せ給へる、夜の内に、この北野にそこらの松を生ほし給ひて、わたり住み給ふをこそは、ただ今の北野の宮と申して、現人神におはしますめれば、おほやけも行幸せしめ給ふ。いとかしこくあがめ奉り給ふめり。筑紫のおはしまし所は安楽寺といひて、朝廷より別当・所司などなさせ給ひて、いとやむごとなし。

内裏焼けて、たびたびつくらせ給ふに、円融院の御時のことなり、工ども裏板どもを、いとうるはしくかきてまかり出でつつ、またの朝に参りて見るに、昨日の裏板に、もののすすけて見ゆる所のありければ、梯にのぼりて見るに、夜のうちに虫の食めるなりけり。その文字は、

つくるともまたも焼けなんすがはらや むねのいたまのあはぬかぎりは

とこそありけれ。それもこの北野のあそばしたるとこそは申すめりしか。

現代語訳(口語訳)


菅原道真公は、(謹慎先の)筑紫でお住まいになられている所の御門を、固く閉ざしていらっしゃいます。大弐(太宰府の次官)のいる場所ははるかに離れていますが、太宰府の門の瓦などが、意識しなくても自然とお目にとまりますし、また、(お住まいの)大変近くには観音寺というお寺がありましたので、その鐘の音をお聞きになってお作りになられた歌(がこちらです。)

(はるか遠くに見える)太宰府の建物の瓦を、わずかに眺めるだけである。
(大変近くにある)観音寺の鐘を、ただ聞くばかりである。



この歌は、白氏文集に記載されている白居易の、
遺愛寺の鐘の音を、枕をそばだてて聴き、香炉峰の雪は、御簾を上げてみる

という歌に勝るぐらい(の完成度で)お作りになっている、と昔の学者たちは申しました。また、あの筑紫で、9月9日に菊の花をご覧になりました。(菅原道真が)まだ京都にいらっしゃった(昨年の)9月のこの日に、御所でこの大臣(菅原道真)がお作りになった歌を、天皇が「大変すぐれている」と感動なされてお召し物をお与えになられたのですが、その着物を筑紫にお持ちになっていらっしゃっていたので、(菊の花とその着物をセットで)ご覧になると、いよいよそのことが思い出されて、お作りになられた歌(がこちらです。)



昨年の今日は、清涼殿(宮中の一角)で天皇の近くにいた。

(そのとき)「秋思」という詩を作ったが、(そのことを思い出すと)断腸の思いであることだ。

天皇から頂いた着物はいまここにある。

毎日捧げては、着物の残り香で、天皇のことを思い出している。

この詩を聞いた人々は、とてもすばらしいと感嘆申し上げました。



そのまま太宰府の地で(菅原道真公は)お亡くなりになられたのですが、その(御霊は)夜のうちに、ここ京都の北野という地にたくさんの松をお生やしになられました。(菅原道真の御霊が)移り住まわれた場所を、現在の北野天満宮と申し上げていますが、(その地で菅原道真は)現人神としていらっしゃるようですので、天皇も行幸なさいます。とても恐れ多いものとして崇め奉られていらっしゃるようです。筑紫で(菅原道真の)ご遺体がお納められた場所は安楽寺といって、朝廷から、別当や所司(という役職)などを任命なさいまして、大変尊いお寺となっています。



御所が炎上するたびに(帝は)造らせなさいました。円融院の御代のことです。大工たちが、屋根の裏板を大変見事にカンナがけをしてから引き上げて、その翌日に参上してみると、昨日カンナがけをした裏板に、すすけて見えるところがありました。梯に登ってみたところ、一晩のうちに、虫が(裏板を)食って(その箇所が文字になって)いました。その文字は、

造りなおしても、またきっと焼けてしまうでしょう。板が隙間なくぴったりと合わない限りは。(菅原道真の胸の痛みの傷が合うまでは)


と(書いて)ありました。そのことも、この北野の神(現人神となった菅原道真)がなさったことであると申すようになりました。

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