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西ヨーロッパ各国の中央集権化(英・仏・独・西の王権強化など) 受験対策問題 48 |
著作名:
レキシントン
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西ヨーロッパ各国の中央集権化で押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
イギリス初期の王権強化
・イギリスでは、征服王ウィリアム1世(在位1066〜1087)によって始められたノルマン朝(1066〜1154)のもと、封建社会が成立した。ウィリアム1世は、征服したアングロ=サクソン貴族の土地を没収し、臣下のノルマンディー出身の騎士たちに与えた。1085年からはドゥームズデイ=ブックという検地を行い、王権を強化していった。同時期のフランスと比べ、イギリスでは集権的な封建国家が誕生したのである。
・ノルマン朝断絶後、フランス王の臣下であるアンジュー伯のヘンリ2世(在位1154〜1189)がイギリス王に即位し、新たにプランタジネット朝(1154〜1399)を開いた。ノルマン朝と同様、アンジュー伯もフランス王の臣下であり、イギリス領ではフランス国王と同等のイギリス国王であったことから、イギリスとフランスの関係は更に複雑化していった。
・ヘンリ2世は、結婚によりフランスの西側の大部分を領有し、イギリス全土とあわせて広大な領土を掌握した。次のリチャード1世(在位1189〜1199)は、外征に明け暮れ、第3回十字軍に参加するなど内政を重要視しなかった。リチャード1世の戦死後即位したジョン王(在位1199〜1216)は、フランス王フィリップ2世との戦争に敗北し、ノルマンディーなど大陸の領土を失ったため、欠地王ともいわれる。また、ジョンは内政面でもカンタベリ大司教の任免を巡ってローマ教皇インノケンティウス3世に破門され、度重なる失政に対し、貴族たちから63箇条からなる大憲章(マグナ=カルタ)を認めさせられた。大憲章はイギリス立憲政治の基礎となる。
・ジョン王の長子ヘンリ3世(在位1216〜1272)は、フランス出身の貴族を重用したり、大陸政策を重要視し、重税を課すなど、大憲章を無視した政治を行った。これに対し、貴族シモン=ド=モンフォールが1258年に反乱を起こし、1265年、聖職者・貴族・都市の代表者からなる議会を招集した。これがイギリス議会の起源となる。その後14世紀半ばに、貴族院(上院)、庶民院(下院)からなる二院制が成立した。
・次のエドワード1世(在位1272〜1307)は、スコットランド遠征のための軍事費を得るため、1295年模範議会を招集した。このように、中世末期から、聖職者・貴族に市民代表を加えた身分制議会が各地で成立した。イギリスの模範議会、フランスの三部会、ドイツの帝国議会、スペインのコルテスなどが代表例である。
フランス初期の王権強化
・フランスでは、ユーグ=カペーが開いたカペー朝(987〜1328)のもとで封建社会が成立した。王朝成立当時、フランス国内では諸侯勢力が強く、王権は弱いままだった。また、イギリスに成立したプランタジネット朝がフランス西部の大部分を領有したため、カペー朝によるフランス統一は進まなかった。しかし、12世紀半ばにフィリップ2世(在位1180〜1223)が登場し、官僚制整備や王権の強化を図り、プランタジネット朝のジョン王との戦いやアルビジョワ十字軍を通じてフランスの大部分を王領地とした。その後のルイ9世(在位1226〜1270)はアルビジョワ十字軍を成功させ、南フランスにも王権を拡大した。イスラームを挟撃するためにルブルックをモンゴルに派遣し、第6・7回十字軍を指導した。
・カペー朝第11代のフィリップ4世(在位1285〜1314)は、フランスにおける身分制議会の三部会を初めて招集し、ローマ教皇ボニファティウス8世をアナーニ事件で憤死させ、教皇庁をアヴィニョンに置いてフランス王権の監視下においた。また、十字軍以降多くの富を持っていたテンプル騎士団を解散させ、その莫大な富を手に入れ、王権を更に強化した。王には「王の奇蹟」という神聖な力があると宣伝され、王権の強化に利用した。
ヴァロワ朝成立と百年戦争
・1328年にカペー朝が途絶えると、ヴァロワ家出身のフィリップ6世(在位1328〜1350)が新たにヴァロワ朝(1328〜1589)を開いた。
・フィリップ6世のフランス国王即位に対し、プランタジネット朝の第7代イングランド王エドワード3世は、母親がカペー朝の血をひいていたことから、フランス王位継承権を主張し、フランドル地方やギュイエンヌをめぐる対立も重なり、百年戦争(1339〜1453)がはじまった。
・百年戦争はフランスを戦場とし、イギリス長弓隊が活躍したクレシーの戦い(1346)や、エドワード3世の長子エドワード黒太子が率いたポワティエの戦い(1356)など、イギリス軍は勝利を重ねた。また、この間フランスはペスト(黒死病)の大流行やジャックリーの乱がおこり、国内は混乱していった。百年戦争後期になると、フランス国内はオルレアン公側とイギリスが支援するブルゴーニュ公側にわかれ内戦状態となった。イギリスもこの頃プランタジネット朝からランカスター朝にかわり、1429年にフランスのオルレアンを包囲し、持久戦となっていった。このころ、ジャンヌ=ダルクが現れ、オルレアンの包囲を破り、ランスでシャルル7世(在位1422〜1461)の戴冠式を実現させた。その後フランスはカレーを除く全領土を回復し、シャルル7世は官僚制と常備軍を整備、大商人ジャック=クールを財務官に指名し財政を立て直し、シャルル8世(1483〜1498)の時代にフランスの中央集権化を達成した。
バラ戦争
・イギリスでは百年戦争後、ランカスター朝に対しエドワード3世の曾孫ヨーク公リチャードが王位継承権を主張し、ランカスター家とヨーク家が対立したバラ戦争(1455〜1485)が起こった。
・バラ戦争で両家は疲弊し、ランカスター家の傍流だったテューダー家のヘンリ7世(在位1485〜1509)が即位し、テューダー朝(1485〜1603)を開いた。テューダー朝はランカスター家の赤バラ・ヨーク家の白バラの紋章を融合させ、赤白のバラを紋章に採用した。ヘンリ7世は、国王直属の星室庁裁判所の設置、家臣団の解散、度量衡の統一などにより中央集権化を進め、絶対王権が確立していった。
ドイツ・イタリア
・ドイツでは神聖ローマ帝国が存在していたが、歴代の神聖ローマ皇帝はイタリア政策を重要視し、ドイツの統治を軽視したため、大諸侯が台頭し、分裂状態が続いた。また、シトー派修道院やドイツ騎士団の東方植民などで、ブランデンブルク辺境伯領やドイツ騎士団領が成立した。
・シュタウフェン朝(1138〜1208)のフリードリヒ1世、フリードリヒ2世の時代には神聖ローマ皇帝のイタリア滞在が長く、ドイツ諸侯や都市に対し様々な特権が認められ、領邦国家が形成された。シュタウフェン朝断絶後、ドイツは事実上の皇帝不在の大空位時代を迎え、神聖ローマ帝国皇帝の権力は衰退していった。1273年にハプスブルク家のルドルフが帝位につくまで、この状況は続いた。
・1356年、ルクセンブルク朝のカール4世は、金印勅書を発布し、7人の選帝侯と国王選挙の方法を取り決めた。この勅書により、選帝侯は裁判権・貨幣鋳造権・関税徴収権などが認められ、ドイツ分裂は加速した。また、13世紀以降のスイスの独立がはじまり、1648年のウェストファリア条約で独立が承認された。
・イタリアでは、北部と南部で異なった状況が存在していた。北イタリアでは、都市共和国(コムーネ)が形成され、神聖ローマ帝国のイタリア政策により国内が混乱すると、各コムーネは皇帝党(ギベリン)と教皇党(ゲルフ)にわかれて争った。アドリア海の女王と呼ばれたヴェネツィア共和国や、ヴェネツィアと海上権を巡って争ったジェノヴァ共和国、メディチ家が支配したフィレンツェ共和国、ヴァスコンティ家が支配したミラノ公国など、多くの有力なコムーネがこの時代に存在した。
・南イタリアでは、イスラームの支配を破ったノルマン人が進出し、ルッジェーロ2世(在位1130〜1154)により両シチリア王国が建国された。首都パレルモは国際文化が花開いたが、その後支配権がフランスのアンジュー家に移されると、過酷な支配が行われ、1282年シチリアの晩鐘という反乱がおこった。これにより、反乱を助けたアラゴン家がシチリアを支配し、アンジュー家の支配するナポリ王国と分離することとなった。
イベリア半島・北ヨーロッパ
・長らくイスラーム勢力の支配下にあったイベリア半島では、718年から1492年にかけて国土回復運動(レコンキスタ)がおこった。アラゴンやカスティリャというキリスト教王国がこれを主導したが、アラゴン王フェルナンド5世とカスティリャ女王イサベル(イサベラ)が結婚し、1479年両国が合併しスペイン王国が成立した。スペイン王国は、1492年にイベリア半島最後のイスラーム王朝ナスル朝を征服し、都グラナダのアルハンブラ宮殿を陥落させ、レコンキスタを完了させた。
・1143年には、カスティリャから独立したポルトガル王国が成立し、エンリケ航海王子により新航路探索が進められ、ジョアン2世(在位1481〜1495)は王権を強化し、ディアスの喜望峰発見を後押しし、1494年にスペイン王国とトルデシリャス条約を結ぶなど、東方航路を開拓した。
・北ヨーロッパでは、デンマーク女王マルグレーテ(在位1387〜1412)により1397年にカルマル同盟が結ばれ、デンマーク連合王国が誕生し、フィン人を統合したスウェーデンやノルウェーとともに同君連合を形成した。スウェーデンは1523年に独立したが、ノルウェーは1814年まで連合王国にとどまった。
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