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菅原道真が左遷された理由 |
著作名:
早稲男
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はじめに
学問の神様として太宰府天満宮に祀られている菅原道真ですが、もともとは御所で政治を取り仕切る右大臣でした。そういった人物がなぜ、福岡の地で学問の神様として祀られているのでしょうか。
菅原道真
そもそも菅原道真は貴族ではなく学者の身分でした。
時の宇多天皇に重用され、右大臣の位まで上り詰めます(学者の身分で右大臣にまで上り詰めたのは、奈良時代に活躍した吉備真備と菅原道真2人だけです)。
理由としては当時、摂政関白として栄えていた藤原氏を宇多天皇がよく思っていなかったこと(阿衡の紛議を調べてみてください)や、菅原道真の聡明さにひかれた等諸説あります。菅原道真も、娘を天皇の子供や皇族に嫁がせることで、朝廷での地位を築きあげていきました。
それをよく思っていなかったのは、ライバルである藤原氏です。
転機となったのは宇多田天皇が退任し、息子の醍醐天皇へと譲位したときでした。学者という身分で強いコネクションのなかった菅原道真は、最大の後ろ盾を失うことになります。
そんな矢先に、「菅原道真を『太宰権帥(だざいごんのそち)』に任命する。」という命令がくだされてしまいます。福岡への赴任の命令でしたが、当時全く栄えていなかった福岡へ赴任するということは左遷そのものを意味していました。左遷の理由としては、「醍醐天皇を引退させ、自分の娘を嫁がせた斉世親王を皇位につかせようとした」というなんともいいがかりな理由でした。
福岡に赴任してから2年後、菅原道真は京に戻ることなく、その地で一生を終えることになったのです。
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