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政権をとった平清盛が行ったことのまとめ |
著作名:
早稲男
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平清盛
1159年の平治の乱で源氏を衰退させた平清盛は、1167年に武士として初めて太政大臣に任命された人物です。太政大臣とは、今の総理大臣といったところでしょうか。太政大臣に任命されたことによって、歴史上初の武士政権が誕生しました。ここでは、平清盛が政権を担っていたときに行ったことについて時系列にそってみていきましょう。
三十三間堂の建立
清盛が太政大臣になる前の1164年に、後白河法皇の命によって作らせたのが三十三間堂です。建物の正式名称は蓮華王院本堂と言います。
日宋貿易
摂津国福原(現在の神戸市)にある大和田泊の港を修復して、中国の宋との間で行った日宋貿易の拠点としました。しかし、宋の通貨であった宋銭が大量に国内に入ってきたために、物価が大きく変動し経済に打撃を与えたといわれています。
後白河法皇の幽閉と高倉天皇の擁立
後白河法皇の三十三間堂を建てたりと、法皇とは良好な関係をたもっていた清盛ですが、1179年に後白河法皇を強制的に引退させてしまいます。あまりにも力を持ちすぎた清盛に対して、後白河法皇が反旗を翻したためと言われています。(鹿ケ谷の陰謀)
これによって清盛は、高倉天皇を即位させます。高倉天皇の奥さんは清盛の娘徳子(建礼門院)でしたので、2人の息子であった安徳天皇の外祖父として、清盛はさらに力を発揮するようになりました。
福原への遷都
1180年に、日宋貿易でにぎわっていた福原(現在の神戸市)に、平安京からの遷都を実行しました。しかし、平氏の反対勢力や同じ平氏の中からも反発が相次ぎ、結局平安京へと都を戻すことになります。特にこの遷都はこれまでの平氏の独裁に辟易していた貴族・寺社・武士などから大きな反発を受け、全国各地で源氏からの攻勢を受ける中、清盛は1181年に死去しました。
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