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【平安時代の文化、弘仁・貞観文化】 受験日本史まとめ 16 |
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著作名:
Cogito
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平安京遷都後から9世紀末ころまでの文化を、嵯峨天皇・清和天皇の年号をとって、弘仁・貞観文化といいます。
この時代の貴族は、唐の文化を吸収しながら、独自の文化を生み出し、宮廷で漢文学が発達しました。また、仏教でも新たに最澄や空海などにより天台宗や真言宗が広まり、その影響を受け密教が盛んになりました。
奈良時代後期に仏教が政治と深く関わり混乱した時代背景があったことから、桓武天皇は平安遷都に伴い南都の大寺院の移設を認めず、最澄や空海によって広められた平安新仏教を支持しました。
最澄は近江に生まれ、比叡山で修行しました。804年(延暦23年)に遣唐使と共に唐に渡り、法華経などの天台の教えを学び、帰国後比叡山に延暦寺を建て、天台宗を開きました。最澄は『山家学生式』を作り、それまでの東大寺戒壇における受戒に対して、新たに独自の大乗戒壇の創設を目指しますが、これらは南都の他宗派から激しい反対を受けました。最澄は『顕戒論』を著し、各地で布教に努めました。生前には実現しなかったものの、最澄の死後に大乗戒壇は公認され、延暦寺は日本仏教の中心となっていきました。
空海は讃岐に生まれ、『三教指帰』を著して仏教界に入りました。最澄と同時期に遣唐使と共に唐に渡り、長安で密教を極めて二年後に帰国し、高野山に金剛峰寺を建て真言宗を開きました。真言とは大日如来の真実の言葉という意味で、顕教に対して密教と呼ばれました。空海は『十住心論』を著し、密教の立場を明らかにしました。密教の修行場は、金剛峰寺のほかに空海が嵯峨天皇から賜った平安京の教王護国寺(東寺)があります。
天台宗のほうも、最澄の弟子の円仁や円珍の時代に本格的に密教を取り入れました。東寺を中心とした真言宗の密教は東密、天台宗の密教は台密と呼ばれます。
のちに円仁と円珍の門流は対立し、10世紀以降、円仁の門流は延暦寺によって山門派となり、円珍の門流は園城寺(三井寺)によって寺門派となりました。
仏教の広がりとともに、在来の神々や信仰との融合も起こりました。8世紀以降神社の境内に神宮寺を建てたり、寺院の境内に守護神を鎮守として祀るなど神仏習合が広まりました。
天台宗や真言宗は、南都仏教と異なり、山岳に寺院を建て修行していたため、在来の山岳信仰と結びつき修験道の源流となりました。修験道の場としては、奈良県吉野の大峰山や北陸の白山、熊野三山などが有名です。
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