ヴァンダル人(ヴァンダル王国)とは
ヴァンダル王国は、北アフリカと地中海を435年から534年まで支配したゲルマン系の勢力であり、地中海地域において大きな影響力を持っていました。この王国は、ローマ帝国が衰退する時期に台頭し、ヴァンダル族によって築かれました。
ヴァンダル族の起源と移動
ヴァンダル族は、現在のポーランド付近に起源を持つゲルマン民族の一派で、ローマ帝国時代に登場します。5世紀初めには、フン族などの外的圧力を受けて西方へ移動し、ガリアを経てイベリア半島に到達しました。409年頃にはイベリア半島に定住し、主にハスディンギ族とシリンギ族に分かれて活動していました。
北アフリカへの侵攻とカルタゴ占領
429年、ゲイゼリックの指導により、ヴァンダル族は北アフリカに渡り、当初は避難を求める形での移動でしたが、間もなく侵略へと転じました。435年に西ローマ帝国との間で条約が結ばれ、ヌミディアやマウレタニアの一部地域に定住が認められました。さらに、439年にはカルタゴを占領し、この都市を首都とすることで王国の基盤を固めました。このカルタゴの征服は、北アフリカにおけるローマの権威に大きな打撃を与え、特に穀物供給の中心地であったことから、その影響は甚大でした。
勢力拡大とローマ略奪
ヴァンダル王国はその後、西地中海全域に勢力を拡大し、シチリア、サルデーニャ、コルシカ、バレアレス諸島の一部を支配しました。彼らは海軍力を駆使して貿易路を掌握し、東西ローマ帝国の沿岸都市に対してたびたび襲撃を行いました。特に455年のローマ略奪は有名で、約2週間にわたって市内が荒らされ、多くの財宝が略奪されました。
王国の衰退と内部対立
しかし、ヴァンダル王国は内部の問題も抱えていました。王国の支配層はアリウス派キリスト教を信仰していましたが、多くの住民がニカイア派キリスト教を信仰していたため、宗教的な緊張が高まっていました。ゲイゼリックの死後、477年から王国は徐々に衰退し始めました。後を継いだフネリックはカトリック教徒に対する迫害を強め、国内の不安定さを増幅させました。その後の王、グンタムンドやトラサムンドの時代には、内紛やベルベル族など外部勢力からの圧力に対処するのが困難になりました。
ヴァンダル戦争と王国の滅亡
最終的には、533年から534年にかけて行われたヴァンダル戦争で決定的な打撃を受けます。東ローマ帝国のユスティニアヌス1世が、失われた西ローマ帝国の領土を取り戻すために戦争を仕掛け、ビザンツの将軍ベリサリウスが指揮する軍が勝利を収めました。特にアド・デキムムとトリカマルムでの戦いが決定的であり、534年には最後のヴァンダル王ゲリメルが降伏し、王国の領土はビザンツ帝国に併合されました。
ヴァンダル王国の評価
ヴァンダル王国の評価は複雑です。ローマ略奪などによる破壊活動で知られる一方で、北アフリカ支配中にはローマ文化の保存にも貢献したとされます。彼らはローマの行政機構を維持しつつ、地元のベルベル文化も取り入れて統治を行っていました。
ヴァンダル王国は軍事的成功や文化的交流を通じて存在感を示したものの、内部の不安や外部の圧力により、最終的には崩壊した、後期古代の重要な王国の一つです。