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18_80 西アジア・地中海世界の形成 / ローマ帝国

カンネーの戦いとは わかりやすい世界史用語1072

著者名: ピアソラ
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カンネーの戦いとは

カンネーの戦いは、紀元前216年8月2日にイタリア南部のカンナエ(現在のプーリア州)で行われた、第二次ポエニ戦争におけるローマ共和国とカルタゴの間の重要な戦闘です。この戦いでは、カルタゴの将軍ハンニバルがローマ軍を包囲し、壊滅的な打撃を与えることに成功しました。

戦いの背景

第二次ポエニ戦争は、紀元前218年にハンニバルがローマの同盟都市サグントゥムを攻撃したことから始まりました。ハンニバルはアルプスを越えてイタリアに侵攻し、ローマ軍に対して一連の勝利を収めました。その中でも、ティキヌス川、トレビア川、トラシメヌス湖での勝利はローマに大きな衝撃を与えました。



戦いの経過

カンネーの戦いは、ローマ軍がハンニバルの軍を決定的に打破しようとする試みの一つとして行われました。ローマ軍は約86,000人の兵士を動員し、カルタゴ軍は約50,000人の兵士を擁していました。

ハンニバルは、ローマ軍の重装歩兵を中央に引き込み、両翼から包囲する戦術を採用しました。この戦略は「二重包囲」と呼ばれ、軍事史上で非常に巧妙な戦術の一つとされています。

布陣と戦術

ローマ軍は、重装歩兵を中央に配置し、前面に軽装歩兵を展開しました。右翼にはローマ騎兵、左翼には同盟国の騎兵を配置し、重装歩兵による中央突破を狙いました。

一方、ハンニバルは中央にガリア人とヒスパニア人の歩兵を配置し、その両翼にカルタゴの精鋭歩兵を配置していました。さらに、両翼にはヌミディア騎兵とヒスパニア・ガリア騎兵を配備し、ローマ軍を中央で引き込みつつ、両翼から包囲することを目指しました。

戦闘の展開

戦闘が始まると、ローマ軍の重装歩兵はカルタゴ軍の中央を突破しようとしましたが、ハンニバルの中央部隊は徐々に後退し、ローマ軍を深く引き込みました。その間に、カルタゴ軍の両翼の騎兵がローマ軍の騎兵を撃破し、ローマ軍の背後に回り込みました。

ローマ軍は完全に包囲され、前後左右から攻撃を受けることになりました。兵士たちは密集し、逃げ場を失った結果、ローマ軍は壊滅的な打撃を受け、約50,000人から70,000人が戦死し、約10,000人が捕虜となりました。

戦いの結果と影響

カンネーの戦いは、ローマにとって最も壊滅的な敗北の一つとなりました。これにより、ローマの同盟都市の一部がカルタゴ側に寝返り、ローマは一時的に危機に陥りました。

しかし、ローマはこの敗北から立ち直り、ファビウス・マクシムスの持久戦略を採用しました。ローマはハンニバルとの直接対決を避け、カルタゴ軍を消耗させる戦術を展開した結果、最終的にハンニバルをイタリアから追い出し、第二次ポエニ戦争に勝利することができました。

カンネーの戦いの軍事的意義

カンネーの戦いは、軍事史上で非常に重要な戦闘の一つとされています。ハンニバルの二重包囲戦術は、その後の多くの軍事指導者に影響を与えました。ナポレオンやエルヴィン・ロンメルなど、多くの指導者がこの戦術を研究し、模倣しました。

また、この戦いはローマの軍事戦略の転換点ともなり、ローマはこの敗北から学び、より柔軟で持続可能な戦略を採用するようになりました。カンネーの戦いは、ローマの軍事力と戦略の発展に大きな影響を与えました。

カンネーの戦いは、ローマとカルタゴの間で行われた決定的な戦闘であり、ハンニバルの卓越した戦術が発揮された場面でした。この戦いはローマにとって壊滅的な敗北であったものの、その後の軍事戦略の進化に大きな影響を与えました。
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『世界史B 用語集』 山川出版社

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