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18_80 東アジア世界の形成と発展 / 東アジア文化圏の形成(隋・唐帝国と諸地域)

藩鎮とは わかりやすい世界史用語714

著者名: ピアソラ
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藩鎮とは

藩鎮は、唐代(618年 - 907年)の中国における地方分権的な統治制度で、特に帝国の辺境地域に設置された軍事区画や指揮権を持つ地方行政区を指します。この制度は、中央政府の権力を補完し、外敵からの侵入を防ぐために設けられました。藩鎮は、節度使と呼ばれる地方軍事総督によって統治され、彼らは高度な自治権を持っていました。

唐代に入ると、特に玄宗皇帝の治世後半に、藩鎮の統制が中央政府から地方の長期在任官や軍事指導者の手に移り、彼らはしばしばその地位を世襲するようになりました。このような地方分権化は、安史の乱(755年 - 763年)後に顕著となり、藩鎮は事実上独立した軍閥として機能するようになりました。

藩鎮の役割と影響

藩鎮は、軍事的な防衛だけでなく、地方の行政や経済の管理も行いました。彼らは税収を集め、地方の治安を維持し、時には独自の法律を制定することもありました。このような権限の集中は、中央政府の統制力を弱める一方で、地方の安定と繁栄をもたらすこともありました。

しかし、藩鎮の力が増すにつれ、彼らはしばしば中央政府に対して反乱を起こすようになりました。これにより、唐朝の後半期には政治的な混乱が続き、最終的には唐朝の崩壊を招く一因となりました。

藩鎮制度の終焉とその後

唐朝の崩壊後、多くの藩鎮は新たに成立した後梁王朝に従うことを拒否し、独立を宣言しました。これにより、五代十国時代(907年 - 960年)の混乱期が始まりました。この時期、多くの藩鎮が独立した王国として機能し、中国全土にわたる分裂状態が続きました。

藩鎮制度は、唐代の中国における地方分権的な統治の一形態であり、中央政府の権力を補完しつつ、地方の安定と繁栄をもたらしました。しかし、その一方で、藩鎮の力が増すにつれ、中央政府との対立が深まり、最終的には唐朝の崩壊を招く一因となりました。
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『世界史B 用語集』 山川出版社

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