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18_80 東アジア世界の形成と発展 / 北方民族の活動と中国の分裂(魏晋南北朝時代)

南朝とは わかりやすい世界史用語549

著者名: ピアソラ
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南朝とは

南朝(420年~589年)は、中国の歴史において、六朝時代の一部を形成する四つの短命な王朝を指します。これらの王朝は、現在の南京にあたる建康を拠点とし、長江(揚子江)以南の広大な地域を支配しました。南朝は、宋(420年~479年)、斉(479年~502年)、梁(502年~557年)、陳(557年~589年)の四つの王朝から成り立っています。

宋(420年~479年)

宋は、東晋の将軍であった劉裕によって建てられました。劉裕は、東晋の最後の皇帝を廃位し、自ら皇帝として即位しました。劉宋王朝は、比較的安定した統治を行い、経済や文化の発展に寄与しました。しかし、内部の権力闘争や外部からの侵略により、次第に衰退していきました。

斉(479年~502年)

南斉王朝は、劉宋王朝の将軍であった蕭道成によって建てられました。蕭道成は、宋の最後の皇帝を廃位し、自ら皇帝として即位しました。南斉王朝は、短命ながらも、文化や学問の発展に貢献しました。しかし、内部の権力闘争や外部からの圧力により、わずか23年で滅亡しました。

梁(502年~557年)

梁王朝は、南斉の将軍であった蕭衍(後の武帝)によって建てられました。蕭衍は、南斉の最後の皇帝を廃位し、自ら皇帝として即位しました。梁王朝は、文化や学問の発展に大きく貢献し、特に仏教の普及に力を入れました。しかし、内部の権力闘争や外部からの侵略により、次第に衰退していきました。

陳(557年~589年)

陳王朝は、梁の将軍であった陳霸先によって建てられました。陳霸先は、梁の最後の皇帝を廃位し、自ら皇帝として即位しました。陳王朝は、短命ながらも、文化や学問の発展に貢献しました。しかし、内部の権力闘争や外部からの圧力により、わずか32年で滅亡しました。



南朝の文化と影響

南朝の時代は、政治的には不安定な時期でしたが、文化や学問の発展においては重要な時期でした。特に、仏教の普及が進み、多くの寺院や仏教施設が建設されました。また、文学や芸術の分野でも多くの優れた作品が生み出されました。例えば、詩人の謝霊運や陶淵明などがこの時期に活躍しました。

南朝の終焉

南朝の歴史は、政治的には不安定な時期でしたが、文化や学問の発展においては重要な時期でした。
南朝は、589年に隋の文帝によって滅ぼされました。隋の文帝は、中国全土を統一し、隋王朝を建てました。南朝の滅亡により、六朝時代は終わりを迎え、中国は再び統一されました。
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『世界史B 用語集』 山川出版社

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