ブハラとは
ブハラの歴史
ブハラは、ウズベキスタンのブハラ州の州都であり、ザラフシャン川下流域のオアシス地帯に位置しています。この地域に人々が集落を建設し始めたのは非常に古く、紀元前5世紀には城壁を持つ要塞都市が成立していたことが考古学上の発見から明らかになっています。
古代のブハラではペルシア帝国の影響を受けたイラン系の文明が発達し、ソグド人によって建設された都市国家は東西交易の仲介者として栄えました。8世紀初頭にはイスラム帝国の勢力が及び、ブハラはイスラム化が進みました。9世紀後半にはサーマーン朝が成立し、ブハラはその首都となりました。サーマーン朝時代には、ペルシア語による文化活動が興隆し、イスラムによるサーサーン朝の征服以来衰退していたペルシア語文学が復興しました。
ブハラの文化
ブハラは、サーマーン朝に始まる近世ペルシア語文学の発信源として、またシャイバーニー朝やジャーン朝においてはチャガタイ語文芸運動を隆盛させた中心都市としても発展しました。このような歴史背景から、現在は住民の大多数がウズベク人とされているものの、住民の間ではペルシア語系のタジク語が広く話されています。
現代のブハラ 現代のブハラは、旧市街地が1993年にユネスコの世界遺産に登録されて以降、観光産業にも力を入れています。産業は天然ガスを産出するほか、繊維、絨毯などの生産でも知られています。人口は約28万人(2020年)で、約220キロ東にサマルカンド、450キロ北東にウズベキスタンの首都タシュケントが位置しています。
ブハラは、その長い歴史を通じて、交易、学問、文化、宗教の中心地として機能してきました。ブハラはサーマーン朝、ブハラ・ハン国、ブハラ・アミール国の首都としても知られ、学者イマーム・ブハーリーの出生地でもあります。市内には約140の建築物があり、その多くがユネスコの世界遺産に登録されている歴史的中心地に含まれています。