墨子とは
墨子は、中国の戦国時代に活躍した思想家であり、墨家という学派を創設しました。彼の本名は墨翟(ぼくてき)であり、ラテン語ではミキウス(Micius)としても知られています。墨子は、儒教や道教に対抗する思想を提唱し、その哲学は「兼愛」(けんあい)と呼ばれる無差別の愛を強調しました。彼の思想は、戦国時代の多くの国家で実践されましたが、秦の始皇帝による焚書坑儒の際に多くの墨家の経典が失われ、漢代には儒教が主流となり、墨家の重要性は次第に低下しました。
墨子の生涯については多くの詳細が不明ですが、彼は魯国(現在の山東省滕州市)で生まれ、宋国(現在の河南省)で一時期官僚として仕えたとされています。墨子は、儒教の教えを学びましたが、儒教が運命論的であり、豪華な儀式や葬儀に過度に依存していると考え、それが一般庶民の生活と生産性に悪影響を及ぼすと批判しました。
墨子の哲学は、以下のような主要な教義に基づいています。
兼愛(けんあい): 墨子の最も有名な教義であり、自己と他者、親しい人と見知らぬ人を区別せずに全ての人々の福祉を考慮する「無差別の愛」を提唱しました。この教義は、社会の秩序と調和を促進するためのものであり、儒教の家族中心の愛に対抗するものでした。
節用(せつよう): 墨子は、資源の節約と無駄の排除を強調しました。彼は、豪華な儀式や葬儀が社会の資源を浪費し、一般庶民の生活を圧迫すると考えました。
尚賢(しょうけん): 墨子は、才能と徳を持つ者を尊重し、彼らを社会の指導者として任命することを主張しました。彼は、血統や身分に関係なく、能力と徳を基準に人材を選ぶべきだと考えました。
非攻(ひこう): 墨子は、戦争と侵略に反対し、平和と防衛を重視しました。彼は、小国が大国からの侵略を防ぐための防衛技術に精通しており、その知識を用いて小国を支援しました。
天志(てんし): 墨子は、天(天命)が存在し、その意志が人間の行動に影響を与えると信じました。彼は、天の意志に従うことが道徳的な行動の基盤であると考えました。
墨子の思想は、戦国時代の多くの国家で実践されましたが、秦の始皇帝による焚書坑儒の際に多くの墨家の経典が失われました。漢代には儒教が主流となり、墨家の重要性は次第に低下しましたが、墨子の思想はその後も中国の哲学と政治に影響を与え続けました。
墨子の教えは、彼の弟子たちによって記録され、『墨子』という書物にまとめられました。この書物には、墨子自身の言葉や彼の弟子たちの教えが含まれており、墨家の哲学と倫理が詳述されています。