はじめに
江戸幕府が解散し開国をしたときに、日本は外国といくつもの条約を結びました。
本来、条約というものはお互いの国が得をするように結ぶものです。
しかしこの当時は、
列強と呼ばれる海外でも力を持った国が、力のない国に対して不平等な条約を結ばせていました。この条約のことを
不平等条約と言います。
力のある者が、力のない者に対して自分の都合のいいように条約を結ばせたのです。なんて身勝手なんでしょう。
その不平等条約にはいくつもの項目がありましたが、特に日本を悩ませたのが以下の2つです。
・
領事裁判権を認める
・
関税自主権の放棄
この2つについてそれぞれみていきましょう。
領事裁判権を認める
現代であれば、もし外国で犯罪を犯したとすると、現地の法律で裁かれます。アメリカだったらアメリカの法律で、イギリスだったらイギリスの法律で裁かれます。当たり前ですよね。
しかし当時にはこの概念がありませんでした。
領事裁判権とは、外人が日本で犯罪を犯しても、
日本の法律ではなくその外人の出身国の法律で裁かれるというものです。
出身国の法律で裁くとは言っていますが、実際にはかなりあまい判決が下されることが多かったです。
ちなみに、たまにでてくる
治外法権という言葉がありますが、これは
領事裁判権とは似て非なる言葉です。
治外法権を認めるとは、日本に外人が来たときに、
彼らに対して日本の法律がまったく効かないことを認めるということです。領事裁判権とは、
犯罪を犯した時の裁きを外人の出身国に委ねることを言います。
関税自主権の放棄
関税とは、
外国から製品を輸入をするときに輸入品にかける税金のことです。
例えば外国からお米を輸入するとしましょう。日本のお米は1キロ1000円、外国のお米は1キロ100円とします。
そうなると困るのは日本のお米農家の方です。安いお米でもかまわない人は外国産を買うでしょうから。
そこで、
日本の産業を守るために税金をかけるのです。
安いお米を輸入するときは、税金をかけて国内のお米と同じ相場の価格になるように値段を設定します。こうやって、自国の産業を守ろうとしているのです。
これが関税です。
不平等条約では、この関税を撤廃させました。
これによって列強と呼ばれる国々は、自分たちの国の製品を海外に大量に売りつけることが可能となったのです。外国から安い製品が無制限に入ってくれば、国内の人も安く買い物ができていいじゃないかと思われるかもしれませんが、そうなると自国の産業が発達しないというジレンマに陥ってしまいます。
まとめ
以上のように、開国当時の日本は不平等条約を結ばれていました。
このまま泣き寝入りしていれば日本は強くなれなかったかもしれません。
日清戦争、日露戦争と
勝利を繰り返す中で日本の地位は認められるようになり、不平等条約の撤廃へと動いていくことになります。