飛鳥文化(あすかぶんか)・
白鳳文化(はくほうぶんか)・
天平文化(てんぴょうぶんか)は、いずれも仏教を中心とした古代の文化です。三つとも仏教の文化なので、代表作だけを覚えようとすると取り違えます。この記事では、「そのころの天皇は誰か」と「文化がどこから伝わってきたか」の2つを手がかりにした見分け方を、「1分でわかる要約」と「深掘り解説」の2段構成でまとめました。
この記事は2段構成です。最初の「1分でわかる三つの文化の見分け方」だけで、要点がつかめます。
さらに深掘りでは、次の3つのポイントを考察していきます。
・天皇の名前を覚えるだけで、なぜ三つの文化が並ぶのか
・文化が伝わってくる場所は、なぜ時代とともに遠くなるのか
・世界最古の木造建築は、なぜ飛鳥のものと言い切れないのか
1分でわかる三つの文化の見分け方
見分けの決め手は、「そのころの天皇は誰か」と「文化がどこから伝わってきたか」の2つです。
飛鳥文化は、推古天皇の時代。文化は朝鮮半島を通って伝わる
7世紀の前半、推古天皇(すいこてんのう)の時代を中心に栄えた、日本で最初の仏教文化です。もとになったのは中国で生まれた文化ですが、中国から直接ではなく、朝鮮半島の国々を通って日本に伝わりました。目印は法隆寺(ほうりゅうじ)金堂(こんどう)の釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)。
白鳳文化は、天武天皇・持統天皇の時代。唐から直接学ぶ
7世紀の後半、天武天皇(てんむてんのう)と持統天皇(じとうてんのう)の時代が中心です。このころ日本は唐(とう)へ使いを送っており、中国の文化を朝鮮半島を通さずに学べるようになりました。目印は薬師寺(やくしじ)の東塔(とうとう)と薬師三尊像(やくしさんぞんぞう)。
天平文化は、聖武天皇の時代。西域やペルシアの品まで集まる
8世紀の奈良時代、聖武天皇(しょうむてんのう)の時代が中心です。唐の文化に加えて、唐よりさらに遠い西域(せいいき)やペルシアから運ばれた品まで日本に集まりました。正倉院(しょうそういん)に残る宝物がその実物です。目印は東大寺(とうだいじ)の大仏。
推古天皇なら飛鳥、天武天皇と持統天皇なら白鳳、聖武天皇なら天平。文化が伝わってきた場所も、朝鮮半島から唐へ、さらに西域やペルシアへと遠くなっていきます。作品名を丸暗記するより、この2つの流れで押さえたほうが取り違えません。
おまけトリビア
法隆寺は現存する世界最古の木造建築ですが、今の建物は焼失のあとに再建されたものとみるのが現在の見方です。飛鳥文化の顔でありながら、建物そのものは次の時代のもの、というわけです。
ここから深掘り
ここまでが1分の要約です。ここからは、三つの文化の違いをもう一歩深く知りたい方向けに解説します。
■天皇の名前で三つが並ぶ
飛鳥文化は、推古朝を中心とする文化と説明されます。仏教が国の中に根を下ろしはじめた時期で、蘇我氏(そがし)のような豪族が競って自分たちの寺、つまり氏寺(うじでら)を建てました。蘇我氏の飛鳥寺(あすかでら)が代表です。
白鳳文化は、天武天皇・持統天皇の時代を中心とする文化です。律令国家のかたちが整えられていく時期にあたり、仏教は個人の信仰から国のためのものへと性格を強めていきます。官立の大きな寺が建てられ、造寺や造仏も一気に増えました。
天平文化は、聖武天皇の時代を中心とする文化です。「天平」という呼び名自体が、聖武天皇の時代の年号から来ています。仏教の力で国を守るという鎮護国家(ちんごこっか)の考えのもとで国分寺(こくぶんじ)が各地に置かれ、その中心として東大寺の大仏が造られました。
三つの文化はそれぞれ、推古朝・天武持統朝・聖武朝という時代の名前と結びついています。天皇の名前を覚えるだけで、三つの順番も自然と決まります。
■文化が伝わってくる場所は、近くから遠くへ
飛鳥文化のもとは、中国の南北朝の文化です。ただし中国から直接ではなく、朝鮮半島の国々を経由して日本に伝わりました。法隆寺の柱のふくらみ(エンタシス)や雲形の組物は、大陸から伝わった建築手法としてよく挙げられます。
白鳳文化になると、この経路が変わります。日本から遣唐使が送られ、中国の文化を朝鮮半島を通さずに受け取れるようになりました。初唐(しょとう)の影響と説明されるのはこのためで、薬師寺東塔や薬師三尊像の張りのある造形が、この時期を代表するものとされています。
天平文化になると、文化が伝わってくる場所はさらに遠くなります。盛唐の文物に加え、唐を通じて西域やペルシアに由来する品まで日本に運ばれました。正倉院に伝わる宝物には、その実物が残っています。
朝鮮半島を通って、唐から直接、そして唐のさらに西へ。文化が伝わってくる場所が近くから遠くへ移っていく、という一本の流れで三つを並べられます。
| 項目 | 飛鳥文化 | 白鳳文化 | 天平文化 |
| 中心の時代 | 推古朝 | 天武・持統朝 | 聖武朝 |
| 文化が伝わってきた場所 | 朝鮮半島の国々を経由した中国南北朝 | 唐から直接(初唐) | 唐に加えて西域・ペルシア |
| 時期 | 7世紀前半 | 7世紀後半 | 8世紀(奈良時代) |
| 目印 | 法隆寺 金堂釈迦三尊像 | 薬師寺 東塔・薬師三尊像 | 東大寺の大仏・正倉院宝物 |
■史実と学説
「白鳳」は美術史の上での時代区分で、区切り方は一様ではありません。大化の改新(645年)から平城京遷都(710年)までとする説明が広く使われますが、白鳳という呼び名の由来自体がはっきりしないため、年で厳密に線を引くことはできません。飛鳥文化の後半を白鳳文化として分ける扱いも、資料によって書き方が違います。
法隆寺の帰属も同じです。『日本書紀』には670年に法隆寺が焼けたという記事があり、再建か非再建かをめぐって長く論争が続きました。解体修理の結果として再建説がほぼ定説となり、現在の西院伽藍は飛鳥時代そのものの建築ではないとみられています。ただし建築年代を一つに決めきれてはおらず、飛鳥様式を伝える建物であること、現存最古の木造建築であることも変わりません。
白鳳文化の範囲は、7世紀後半を中心とする時期という説明のほか、大化の改新から平城京遷都までとする説明もあり、一つに定まっていません。法隆寺西院伽藍の建築年代も、白鳳期とする説明のほか、飛鳥様式をどう評価するかで理解が変わるという指摘があります。
■トリビアの真相
「世界最古の木造建築=法隆寺=飛鳥文化」という覚え方は、半分だけ正しいものです。焼失と再建をはさんでいるため、建築そのものは飛鳥のあとの時代のものとみるのが今の一般的な説明です。
では飛鳥文化の代表として法隆寺を挙げるのは誤りかというと、そうではありません。金堂の釈迦三尊像は鞍作止利(くらつくりのとり)の作とされ、こちらは飛鳥を代表する仏像として知られています。同じ寺の中に、時代の違うものが同居しているわけです。目印になる作品だけで文化を判定しようとすると、こういうところでつまずきます。天皇の名前と、文化が伝わってきた場所を先に押さえておくほうが確実です。
試験に出るポイント
「飛鳥=推古朝・朝鮮半島経由の中国文化」「白鳳=天武持統朝・唐から直接(初唐)」「天平=聖武朝・唐に加えて西域やペルシア」の三点セットが頻出。薬師寺(白鳳)と東大寺(天平)を入れ替える引っかけ、白鳳文化を奈良時代の文化としてしまう誤りに注意しましょう。