manapedia
更新日時:
アンコール朝とは わかりやすい世界史用語845
著作名: ピアソラ
947 views
アンコール朝とは

アンコール朝は、802年頃から1431年頃にかけて現在のカンボジアを中心に栄えたクメール帝国の時代を指します。この時代は、アンコール・ワットやアンコール・トムなどの壮大な寺院群で知られ、東南アジアの歴史と文化に大きな影響を与えました。

起源と初期の歴史

アンコール朝の始まりは、802年にジャヤヴァルマン2世が自らを「チャクラヴァルティン」(世界の王)と宣言し、クメール帝国を統一したことに遡ります。彼は、ヒンドゥー教の神々を崇拝し、アンコールを宗教的および政治的な中心地としました。



宗教と文化

アンコール朝の宗教は、初期にはヒンドゥー教が中心でしたが、後に仏教が広まりました。アンコール=ワットは、12世紀にスールヤヴァルマン2世によって建設され、ヴィシュヌ神に捧げられたヒンドゥー教寺院です。その後、ジャヤヴァルマン7世の時代には、仏教が国家宗教となり、アンコール=トムなどの仏教寺院が建設されました。

建築と芸術

アンコール朝の建築は、クメール建築の最高峰とされ、多くの寺院や宮殿が建設されました。アンコール=ワットは、その壮大な規模と精緻な彫刻で知られ、世界最大の宗教建築物とされています。また、アンコール=トムやバイヨン寺院も、クメール建築の代表例として知られています。

経済と社会

アンコール朝の経済は、農業を基盤としており、特に稲作が主要な産業でした。また、アンコールは交易の中心地としても栄え、中国やインドとの貿易が盛んに行われました。社会構造は、王を頂点とする階層社会であり、貴族や官僚が行政を担当し、農民や職人が生産活動に従事していました。

衰退と終焉

アンコール朝は、13世紀末から14世紀にかけて徐々に衰退しました。その原因としては、気候変動による農業生産の減少、内紛、外敵の侵攻などが挙げられます。特に、1431年頃にアユタヤ王国によってアンコールが陥落したことが、アンコール朝の終焉を決定づけました。

遺産と影響

アンコール朝の遺産は、現在のカンボジア文化に深く根付いています。アンコール=ワットやアンコール=トムなどの遺跡は、ユネスコの世界遺産に登録されています。

このテキストを評価してください。
役に立った
う~ん・・・
※テキストの内容に関しては、ご自身の責任のもとご判断頂きますようお願い致します。






世界史