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バビロンとは 世界史用語107
著作名: ピアソラ
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バビロンとは

古代都市バビロンは、現在のイラクの南部にあるユーフラテス川沿いに位置する古代メソポタミアの有名な都市でした。紀元前2千年紀から紀元前1千年紀にかけて、バビロニアの首都として栄え、紀元前7世紀から紀元前6世紀には新バビロニア帝国の中心として最盛期を迎えました。その壮麗な遺跡は、バグダードから南に約88キロメートルのところにある現代のアル・ヒッラの近くにあります。

バビロンの歴史は、メソポタミアの他の都市に比べて遅く始まりました。最初の言及は紀元前23世紀のアッカド帝国の時代にさかのぼります。その後、バビロンはウル第3王朝の下で州都として機能しましたが、その王朝が滅亡すると、紀元前1894年にアモリ人の王スムアブムによって小さな王国の中心となりました。アモリ人の王たちの中で最も有名なハンムラビ(紀元前1792年から紀元前1750年)は、周辺の都市国家を征服し、バビロンを南メソポタミアとアッシリア(現在のイラク北部)の一部を含む王国の首都にしました。バビロンはその政治的重要性と好ましい立地によって、バビロニアの主要な商業・行政の中心となり、同時に外国の侵略者の標的ともなりました。

ハンムラビの息子サムス・イルナの治世には王国は衰退し、バビロンはアッシリア、カッシート、エラムなどの支配を受ける時期が長く続きました。紀元前8世紀には、アッシリアの王ティグラト・ピレセル3世によってバビロンは破壊されましたが、その後、カルデア人の王ナボポラッサルが紀元前626年にバビロンを再建し、新バビロニア帝国を建国しました1。この帝国は、ナボポラッサルの息子ネブカドネザル2世(紀元前605年から紀元前561年)のもとで最高潮に達しました。ネブカドネザル2世は、アッシリア、エジプト、ユダヤなどの国々を征服し、バビロンを古代近東の覇者としました。彼はまた、バビロンの都市建設にも力を注ぎ、壮大な城壁、宮殿、神殿、庭園などを築きました。

バビロンの遺跡のほとんどは、ネブカドネザル2世の時代のものです。当時、バビロンは世界で最も大きな都市で、多くの神殿がありました。その中でも最も重要なのは、マルドゥク神の大神殿で、その付属のジッグラト(段階的な塔)は、バベルの塔の物語のもとになったと考えられています。また、植物で覆われたテラスからなる人工の丘である空中庭園は、世界の七不思議の一つとされました。

バビロンは、紀元前539年にペルシアの王キュロス2世によって陥落しました。その後、アレクサンドロス大王が紀元前331年にバビロンを占領し、そこで死去しました。バビロンは、ヘレニズム時代には衰退し、パルティア、ササン朝、イスラム帝国などの支配を受けましたが、かつての栄光を取り戻すことはありませんでした。バビロンの地形に関する証拠は、発掘、楔形文字の文書、ギリシャの歴史家ヘロドトスの記述などから得られています。

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