|
|
|
更新日時:
|
|
![]() |
なぜ煬帝は遣隋使を罰さなかったのか |
著作名:
早稲男
40,687 views |
「日出る処の天子、書を没する処の天子に致す」
に示されるように隋(中国)は、それまで朝貢関係にあった倭国(日本)から、今までの冊封をやめて独立した国家として接してくださいと言われました。
皇帝煬帝は、この国書に対して激怒したと言われていますが、遣隋使を罰することなく裴世清を国使として日本に派遣しています。それはなぜでしょうか?
朝貢国からのこのような思い上がった文書に激怒して、国使を殺してしまうということも十分に考えられますが、なぜ遣隋使は罰せられなかったのでしょうか。
背景
その理由は隋と高句麗(朝鮮半島北部)との関係にあります。
当時隋と高句麗は対戦中であり、仮に日本からの国使をはねのけてしまえば、倭国(日本)と高句麗が手を結んでしまうかもしれないという思いがあったのです。
遣隋使を優遇し、裴世清を使者として遣わしたのはこのためであると言われています。
遣隋使を考察するときは、周りの国との関係をみて
このテキストを評価してください。
役に立った
|
う~ん・・・
|
※テキストの内容に関しては、ご自身の責任のもとご判断頂きますようお願い致します。 |
|
聖徳太子が随と対等な立場を示した理由
>
煬帝が聖徳太子の手紙を見て遣隋使に激怒した理由
>
【大化の改新、中大兄皇子・中臣鎌足の活躍、乙巳の変】 受験日本史まとめ 9
>
大化の改新の流れとその内容(乙巳の変~改新の詔)
>
【天智天皇の改革、白村江の戦い、律令国家の形成】 受験日本史まとめ 10
>
平安京へ遷都することになった理由
>
煬帝が聖徳太子の手紙を見て遣隋使に激怒した理由
>
最近見たテキスト
なぜ煬帝は遣隋使を罰さなかったのか
10分前以内
|
>
|
デイリーランキング
日本史
- 原始・古代の社会・文化と東アジア
- 先土器時代・縄文時代
- 弥生時代・古墳時代
- 飛鳥時代・奈良時代
- 平安時代
- 中世の社会・文化と東アジア
- 鎌倉時代
- 南北朝時代・室町時代
- 近世の社会・文化と国際関係
- 戦国時代・安土桃山時代
- 江戸時代
- 近代日本の形成とアジア
- 18世紀における国際環境の変化
- 開国・明治維新
- 立憲政治・憲法制定・議会の設立
- 条約改正・日清/日露戦争
- 近代産業の発展と文化の特色
- 両世界大戦期の日本と世界
- 第一次世界大戦
- 政党政治の発展と大衆文化の形成
- 国内情勢・第二次世界大戦・太平洋戦争
- 第二次世界大戦後の日本と世界
- 占領下の日本
- 高度成長の時代
- その他
- その他