更新日時:
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聖徳太子が随と対等な立場を示した理由 |
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著作名:
早稲男
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なぜ聖徳太子は、遣隋使を介して「日出る処の天子、書を没する処の天子に致す」といった国書を随に送ったのでしょうか。
当時の諸外国の動向からみてみましょう。
当時随はアジアの大国であり、周辺諸国を冊封という形で統治していました。
(※冊封とは、随の傘下に入る代わりに、国の有事があったときには随が守ってあげるといった主従関係です。)
現代風に言えば、グループ会社に入る代わりに、その親会社の経営力やブランド力などのメリットを受けることができるといった感じでしょうか
先の国書には、日本(倭国)は、冊封からはずれて中国(随)から独立した国家であることを望む、というニュアンスが含まれていますが、なぜこれまでの冊封から独立をしようと思ったのか。
それは朝鮮半島の情勢に理由があります。
当時の朝鮮半島には、高句麗、百済、伽耶、新羅の4カ国がありました。伽耶はヤマト政権の勢力が及ぶ地域でしたが、これが百済、新羅によって併合されてしまいます。
これを打破するために新羅征討軍を朝鮮半島に送りましたが失敗に終わります(600年)。武力での威圧は難しいと考えたヤマト政権は、当時大国であった随から独立した国家であることを認めてもらうことで、随の冊封国であった百済や新羅へ牽制をしようと考えたわけです。
ヤマト政権は、随と対等関係を築くことで、俺らは随と対等は立場にあるのだからお前ら邪魔するな!と百済、新羅へ牽制をした
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