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枕草子 原文全集「返る年の二月廿余日」
著作名: 古典愛好家
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返る年の二月廿余日

返る年の二月廿余日、宮の職(しき)へ出でさせたまひし御供にまゐらで、梅壺に残りゐたりし、またの日、頭中将の御消息とて、

「昨日の夜、鞍馬に詣でたりしに、今宵方のふたがりければ、方違(かたたがへ)になむ行く。まだ明けざらむにかへりぬべし。かならずいふべきことあり。いたう叩かせで待て」


とのたまへりしかど、

「局にひとりはなどてあるぞ。ここに寝よ」


と御匣殿(みくしげどの)の召したれば、まゐりぬ。 久う寝おきておりたれば、

「夜べいみじう人の叩かせたまひし、からうじて起きてはべりしかば、『上にか、さらばかくなむと聞こえよ』と、はべりしかども、よもおきさせたまはじとて、臥しはべりにき」


と語る。心もなのことや、と聞くほどに、主殿司(とものづかさ)きて、

「頭の殿の聞こえさせたまふ。『ただ今まかづるを聞こゆべきことなむある』」


といへば、

「見るべきことありて上へなむのぼりはべる。そこにて」


といひて、やりつ。
 

局は引きもやあけたまはむと、心ときめきしてわづらはしければ、梅壺の東面(ひんがしおもて)、半蔀(はんじとみ)上げて、

「ここに」


といへば、めでたくてぞあゆみ出でたまへる。桜の綾の直衣(なをし)の、いみじう花々と、裏のつやなどえもいはずきよらかなるに、葡萄染(ゑびぞめ)のいと濃き指貫、藤の折枝おどろおどろしく織りみだりて、紅の色うちめなど、輝くばかりぞ見ゆる。白き、薄色など下にあまた重なりたり。狭き縁に、かたつかたは下(しも)ながら、すこし簾のもと近う寄りゐたまへるぞ、まことに絵にかき物語のめでたきことにいひたる、これにこそは、とぞ見えたる。


御前の梅は、西に白く東(ひむがし)は紅梅にて、すこし落ちがたになりたれど、なほをかしきに、うらうらと日のけしきのどかにて、人に見せまほし。御簾の内に、まいて若やかなる女房などの、髪うるはしくこぼれかかりてなどいひためるやうにて、もののいらへなどしたらむは、いますこしをかしう見所ありぬべきに、いとさだすぎふるぶるしき人の、髪などもわがにはあらねばにや、ところどころわななき散りぼひて、おほかた色ことなるころなれば、あるかなきかなる薄鈍(うすにび)、あはひも見えぬきはきぬなどばかりあまたあれど、つゆのはえも見えぬに、おはしまさねば裳も着ず袿(うちぎ)姿にてゐたるこそ、ものそこなひにてくちをしけれ。


「職(しき)へなむまゐる。ことづけやある。いつかまゐる」


などのたまふ。

「さても、夜べ、あかしもはてで、さりともかねてさいひしかば待つらむとて、月のいみじうあかきに、西の京といふ所よりくるままに、局を叩きしほど、からうじて寝おびれおきたりしけしき、いらへのはしたなき」


など語りて笑ひたまふ。

「むげにこそ思ひうんじにしか。などさる者ものをばおきたる」


とのたまふ。げにさぞありけむと、をかしうもいとほしうもあり。しばしありて出でたまひぬ。外(と)より見む人は、をかしく、うちにいかなる人あらむと思ひぬべし。奥のかたより見いだされたらむうしろこそ、外にさる人やとおぼゆまじけれ。


暮れぬればまゐりぬ。御前に人々いと多く、殿上人などさぶらひて、物語のよきあしき、にくきところなむどをぞ、定めいひそしる。涼、仲忠(なかただ)などがこと、御前にも、劣りまさりたるほどなどおほせられける。

「まづ、これはいかに。とくことわれ。仲忠が童生ひのあやしさを、せちにおほせらるるぞ」


などいへば、

「なにか。琴なども天人のをるばかり弾きいで、いとわるき人なり。御門の御むすめやは得たる」


といへば、仲忠が方人ども所をえて、

「さればよ」


などいふに、

「この事どもよりは、昼、斉信(ただのぶ)がまゐりたりつるを見ましかば、いかにめでまどはまし、とこそおぼえつれ」


とおほせらるるに、

「さて、まことに常よりもあらまほしうこそ」


などいふ。

「まづその事をこそは啓せむと思ひてまゐりつるに、物語のことにまぎれて」


とて、ありつる事ども聞こえさすれば、

「誰も見つれどいとかう縫ひたる糸、針目までやは見とをしつる」


とて笑ふ。
 
「西の京といふ所の、あはれなりつること。もろともに見る人のあらましかばとなむおぼえつる。垣なども皆ふりて、苔生ひてなむ」


など語りつれば、宰相の君の

「瓦に松はありつや」


といらへたるに、いみじうめでて、

「西のかた、都門を去れること、いくばくの地ぞ」


と口ずさみつることなど、かしがましきまでいひしこそ、をかしかりしか。






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