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ファシズム諸国と侵略(ヒトラーとナチスの躍進、スペイン内戦など) 受験対策問題 102 |
著作名:
レキシントン
25,593 views |
ファシズム諸国と侵略で押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
ヒトラーの登場とナチスの台頭
・第一次世界大戦後、個人の自由や利益を否定し、全体の利益を優先する全体主義という政治思想が生まれた。その多くは独裁制をとり、対外侵略や国内社会の暴力的統制などを特徴とする。ドイツのナチズム、イタリアのファッショ体制、日本の軍国主義などがその典型であった。
・オーストリアに生まれたアドルフ=ヒトラーは、当初画家を目指していたが挫折し、第一次世界大戦では伝令兵として活躍、二度勲章を与えられた。戦後、ヒトラーは政界に進出し、1921年以降国民(国家)社会主義ドイツ労働者党(略称ナチス)の党首となった。1923年に第一次世界大戦の賠償とヴェルサイユ条約の不履行を理由に、フランスとベルギーがドイツ工業生産の拠点のルール占領を行った。この占領政策により、ドイツ経済はかつてないインフレに見まわれ、社会は更に混乱した。
・ルール占領とインフレにより混乱する状況の中、ナチスはヴァイマル政府の打倒と政権獲得を目指し、ミュンヘン一揆というクーデタを起こした。このクーデタは軍によって鎮圧されたが、ヒトラーは逮捕後に獄中で『わが闘争』を口述筆記し、これは後にナチスの重要著作となった。
・1932年、ローザンヌ会議においてドイツ賠償の支払い延期と、賠償金30億金マルクへの減額が決まり、賠償・戦債問題は終了したが、ドイツ国内の混乱は収まる気配がなかった。1925年以降大統領に就任したヒンデンブルクは、1932年3月の大統領選挙でヒトラーを破ったが、その後7月の総選挙でナチス230議席、社会民主党133議席、共産党89議席、中間諸派140議席という結果となった。
・こうした結果から、ヒンデンブルクはヒトラーの入閣を求めたが、ヒトラーは自分で内閣を組織することに固執し、野党に下った。1932年11月に解散総選挙が行われナチスは議席を減らしたものの、ナチス196議席、社会民主党121議席、共産党100議席、中間諸派143議席と、ナチスは第一議席確保し、共産党の躍進が目立った。
・共産党の躍進に脅威を抱いた大資本家たちは、急遽ナチス支援を決め、資本家と労働者階級のホワイトカラー・商人・手工業者からなる中間層もナチス支持にまわった。こうした支持層の拡大により1933年1月、ヒトラー内閣が成立し、軍部や大資本家の支援のもと議会を解散した。同年2月には国会議事堂放火事件がおこり、その責任を共産党であるとし、非合法化し解散に追い込んだ。また、3月に総選挙を行いナチスが第一党となると、全権委任法を成立させ、ナチスは一党独裁体制を確立した。
・1934年に大統領ヒンデンブルクが死去すると、ヒトラーは大統領制を廃止し総統(フューラー)に就任した。総統は大統領・首相・党首の全権を持ち、ヒトラー独裁体制が確立した。1933年〜1945年まで、ナチス支配下のドイツを第三帝国といい、国家秘密警察(ゲシュタポ)を用いた恐怖政治が行われた。
ナチスの政策
・独裁政権を握ったナチスは、軍備平等権を求めたが否定されたため、1933年10月に国際連盟を脱退し、1935年1月には住民投票によりロレーヌ地方の東に隣接するドイツ・フランスの国境地帯ザールの編入が決まり、これはナチス政権による最初の領土拡大となった。同年3月には再軍備宣言を出し、ヴェルサイユ条約の破棄と義務兵役制の復活により国防軍を従来の5.5倍にまで拡大することが決定された。
・ナチスの拡大に危機感をもった各国は、仏ソ相互援助条約・ソ連=チェコ相互援助条約・フランス=チェコ相互援助条約などの条約を締結した。また、イギリスは英独海軍協定を結び、ドイツに対イギリス35%の軍艦と45%の潜水艦保有を認め、イギリス自身がヴェルサイユ条約を無視し、ドイツの再軍備を認める形となった。
・1936年には、ラインラント永久非武装を定めたロカルノ条約をヒトラーが破棄し、3月にラインラント進駐を行った。イギリスはこれに対抗せず、ヒトラーの領土的野心を更に高める結果となった。また、ドイツ国内では四カ年計画が進み、民間軽視の軍需増産が進められた。国内の軍事物資を速やかに送るためのアウトバーンも整備された。
・同時期、ナチスは ニュルンベルク法を制定し、ユダヤ人迫害(反セム主義)を進めた。8分の1までの混血をユダヤ人とし、公職追放、企業経営の禁止など、社会的迫害がはじまり、1938年には「水晶の夜(クリスタルナハト)」事件など打ち壊しや虐殺がおこった。のちにアウシュビッツ強制収容所などでロマとともにホロコースト(絶滅政策)が行われた。この時期には、アインシュタインやトーマス=マンなど、多数のユダヤ人が各国に亡命した。
イタリアのファシズム
・ナチス躍進と同時期、イタリアのムッソリーニ政権も対外侵略を開始した。恐慌により国内経済が混乱していた状況から国民の目をそらすため、1935年エチオピアに侵入し、これを併合した。
・同年、イタリアとドイツはラインラント進駐・エチオピア侵入・スペイン内戦干渉などで国際的に孤立した両国の利害が一致したことで1936年ベルリン=ローマ枢軸を成立させた。その後同年11月に日独伊防共協定が結ばれ、翌年イタリアは国際連盟を脱退した。
各国の状況
・1932年、文人ロマン=ロランの呼びかけでアムステルダム反戦会議が開かれた。また、ドイツにナチス政権が登場したことにより、各国の共産党は危機感を覚え、1935年にモスクワで開催されたコミンテルン第7回大会で統一戦線・人民戦線の結成を方針とする決議をした。
・人民戦線とは、ファシズムと戦争に反対する全勢力(共産党・社会党・自由主義諸勢力・労働者・農民・市民・知識人・宗教組織など)を結集し、フランス・スペインで実現し、中国では民族統一戦線と呼ばれた。
・フランスでは、1935年に社会党・共産党・急新社会党が協定しフランス人民戦線が成立した。社会党のブルムを首相とした人民戦線内閣は週40時間労働制、有給休暇制、団体協定などを推進し、反ファシズム政策をとった。しかし、恐慌以来の経済危機を克服できず、最終的に退陣した。
スペイン革命とスペイン内戦
・スペインでは、ブルボン朝アルフォンソ13世のもと、首相プリモ=デ=リベラが独裁政権を樹立していたが、1931年にスペイン革命が起こりアルフォンソ13世が退位・亡命し、スペイン共和国が実現した。
・1936年には、穏健共和派や無政府主義者を含めスペイン人民戦線が成立し、人民戦線内閣首相にはアサーニャが就任した。しかし、ファシズムに反抗する人民戦線政府に対し、軍人フランコがモロッコで反乱を起こし、人民戦線政府対ファシズム勢力のスペイン内乱がおこった。
・ドイツのヒトラー、イタリアのムッソリーニ、ポルトガルのサラザールなどファシズム勢力はフランコを支援したが、イギリス・フランスは不干渉政策をとり、人民戦線政府軍を支援しなかった。代わりにソ連と国際義勇軍が政府軍を援助したが、戦力としては不十分で、人民戦線政府軍は苦しい戦いを強いられた。
・スペイン内戦では、北部バスク地方の小都市ゲルニカがドイツ・イタリア軍に無差別爆撃され多数の死傷者を出し、画家のピカソが「ゲルニカ」という作品で世界に惨状を訴えた。この時に組織された国際義勇軍には、アメリカの作家ヘミングウェーやイギリスの作家オーウェルらが参加した。1939年、首都マドリードが陥落し、ファランヘ党のもとフランコ独裁政権が確立し、第二次世界大戦後も長らく地位を維持した。
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