manapedia
更新日時:
グプタ朝、ヴァルダナ朝とラージプート時代(ヒンドゥー教成立、南北インド王朝など) 受験対策問題 15
著作名: レキシントン
36,495 views
ALT

グプタ朝とラージプート時代で押さえておきたいポイント

※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。

グプタ朝

マウリヤ朝滅亡後、北インドの統一王朝としてグプタ朝がおこった。チャンドラグプタ1世(在位320〜335頃)がマガダ国のあった現在のビハールで台頭し、王朝を作った。このチャンドラグプタ1世は、マウリヤ朝を作ったチャンドラグプタ王とは別人である。

・第2代サムドラグプタの後、第3代チャンドラグプタ2世(在位376〜415頃)の治世に、グプタ朝は最盛期となる。グプタ朝の領土は最大となり、都パータリプトラを中心にサンスクリット文学やインド美術が発達し、ヒンドゥー教が広まった。

チャンドラグプタ2世(中国名:超日王)の時代に、東晋の僧法顕(337〜422)がインドを訪れている。法顕399年に長安を出発し、戒律の原典を求め陸路でインドに行き、412年に海路で帰国した。その後『仏国記』を著した。

・グプタ朝衰退の原因となったのが、5〜6世紀の中央アジアを本拠地としていたエフタルという騎馬民族である。エフタルはトルキスタンやイランなどを含む地域を支配し、その後西北インドに侵入し、グプタ朝を攻撃した。グプタ朝は550年頃滅亡し、その後エフタルも突厥 ササン朝の挟撃にあい、6世紀初めに滅亡した。

グプタ朝の芸術

・グプタ朝時代に発達したサンスクリット文学の代表的な作家がカーリダーサで、チャンドラグプタ2世の宮廷で活躍し、戯曲『シャクンタラー』や叙情詩『メーガドゥータ』を残した。

・グプタ朝が建立した著名な仏教学院として玄奘義浄が学んだナーランダー僧院がある。

・同時期、ガンダーラ美術などギリシア風の様式から脱却したグプタ様式が完成し、 アジャンター石窟寺院エローラ石窟寺院の壁画にその様子が見て取れる。他にも、マトゥラーサールナートなど、重要な遺跡が残る。

インド宗教

・この時代に完成したのが、ヒンドゥー教である。ヒンドゥー教は、紀元前後以来、バラモン教や各地の民間宗教が融合し、その後仏教の影響を受け成立した。秘密宗教となり民衆生活から乖離した仏教に代わり、ヒンドゥー教はインドの日常生活の隅々まで関わる民俗宗教となっていった。シヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマーという三大神が信仰の主な対象となった。

シヴァ破壊神・創造神・舞踏の神。
ヴィシュヌ太陽神・世界維持の神。
ブラフマー世界の創造神。


・マウリヤ朝以降、ヴァルナごとの社会規範が書かれたダルマ=シャーストラという法典が現れる。代表的なものに『マヌ法典』があり、バラモンの優位や女性差別などが書かれていた。

ヴァルダナ朝

・グプタ朝滅亡後、混乱する北インドに最後の統一王朝ヴァルダナ朝が成立する。中国名で戒日王と呼ばれたハルシャ=ヴァルダナ(在位606〜647)によって王朝がたてられた。

ハルシャ=ヴァルダナは都をカナウジ(中国名:曲女城)に定め、ヒンドゥー教・仏教を手厚く保護した。また、自らサンスクリット戯曲を書き、文芸を奨励した。

・この時代に、インドを訪れたのが唐僧の玄奘(602〜664)である。629長安を発ち、ハルシャ=ヴァルダナの厚遇を受け645年に帰国した。玄奘は帰国後太宗の命を受け経典を漢訳し、自身の旅行記として『大唐西域記』を記した。また、その後もう一人の唐僧義浄(635〜713)671広州を出て南海経由でインドへ赴き、ナーランダー僧院で学んだ。その後695年帰国し、途中滞在したシュリーヴィジャヤ王国で『南海寄帰内法伝』を著した。

・仏教は、秘密仏教となり衰退し、ベンガルを支配したパーラ朝(750頃〜1155頃)によって保護されるが、その後ヒンドゥー教に吸収され、インドから姿を消した。

ラージプート時代

・ヴァルダナ朝滅亡後、北インドはクシャトリアのカースト集団であるラージプートの王国が乱立する。この8世紀から13世紀の時代をラージプート時代という。

プラティーハーラ王国(800頃〜1019)カナウジを都とし、アラブ勢力の侵入を阻止する。
チャンデーラ王国(10〜11世紀)プラティーハーラ王国から独立した王国。
チャーハマーナ王国(10世紀末〜1192)イスラーム軍に滅ぼされる。


南インドの王朝

・南インドは、北インドとは異なり様々な王朝が分立していた。時代を経て、南インドドラヴィダ系のタミル文化と北のアーリヤ系文化が融合し、ドラヴィダ様式が成立する。また、シヴァ神などヒンドゥー教の神へ絶対的な帰依を捧げるバクティ信仰が広まった。

パーンディア朝(紀元前3世紀〜紀元後14世紀)最南端の王朝で、長い間独立を保つ。ローマとも交易した。
チェーラ朝(紀元前3世紀〜紀元後3世紀?)ドラヴィダ系タミル人の国。
パッラヴァ朝(3世紀末〜9世紀末)サータヴァーハナ朝衰退後に発展。
チャールキヤ朝(6世紀半〜8世紀半)ドラヴィダ系でデカン高原を支配。ハルシャ=ヴァルダナを撃退した。
チョーラ朝(紀元前3世紀〜紀元後13世紀)ドラヴィダ系タミル人の国。スリランカ支配やシュリーヴィジャヤ王国への遠征も行う。バクティ信仰が広まる。
シンハラ王国(紀元前5世紀頃〜1815)アーリヤ系シンハラ人の国。スリランカを支配し、3世紀半ばに上座部仏教が伝わった。14世紀頃から衰退した。


このテキストを評価してください。
役に立った
う~ん・・・
※テキストの内容に関しては、ご自身の責任のもとご判断頂きますようお願い致します。






世界史