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欧米の中国侵略 3 林則徐による改革、アヘン(阿片)戦争の原因と結果、南京条約の締結と影響 |
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著作名:
ピアソラ
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イギリスの三角貿易によって、清に輸出されたインド産アヘンの量は年々増加していきました。
1800年には4500箱(一箱約60kgのアヘン)だった輸入量は、1830年に2万箱、1938年には4万箱にもなりました。
1830年代末には、国家歳入の80%にものぼる巨額の銀が中国国内から流出し、銀貨は高騰しました。
当時、中国の税金は地丁銀制で定められた銀で納める必要がありましたが、多くの農民は銅銭で収入を得ていたため、銀に両替したのち納税しなければなりませんでした。
乾隆帝の時代に銀1両(37gの銀)は銅銭700〜800文で交換出来ましたが、1830年代末には銀1両が2000文に達しました。これは、農民にとって税金が倍になったことと同じで、多くの人々が貧困にあえぐようになり、国内の社会不安が広がっていきます。
この状況に対し、当時の清の第8代皇帝道光帝はアヘンの禁絶を目指し、1838年、アヘン厳禁論者だった林則徐という政治家を欽差大臣に任命します。
(林則徐)
欽差大臣というのは、危機的状況において臨時に任命された高官で、皇帝の代わりに特定の問題に対応するためのさまざまな権限を与えられました。
広州に到着した林則徐は、アヘン2万箱を没収し、再生成できないよう塩水と生石灰に混ぜた後、23日間かけて焼却しました。同時に、アヘン貿易をやめない限りイギリスとの一般貿易も断絶するという強硬措置をとりました。
(アヘンの処分)
こうした林則徐の対応は、イギリス側にとって大きな痛手でした。アヘンはイギリスやインドを含む世界貿易体制にとって必要不可欠な商材になっていたからです。
こうした状況の中、イギリス国内でも武力行使によって中国の自由貿易化を進めようとする外相パーマストンら主戦派と、不正義の戦争として武力行使に反対したグラッドストン(後の自由党党首)が議会で激しい反対演説をおこなうなど、政治的にも意見が真っ向から対立していました。
しかし、市場の拡大を求める産業資本家や大商人の後ろ盾を得たパーマストンら主戦派の政治家たちが中心となり、最終的に賛成271票、反対262票の僅差で戦争開始が決まります。
1840年、イギリスは40隻以上の艦船を中国に派遣し、アヘン戦争がはじまりました。
近代的兵器によって武装したイギリス軍は清朝軍を次々に撃破し、厦門(アモイ)、寧波(ニンポー)を攻略後、1842年には上海を落とし南京に迫りました。
(アヘン戦争)
1841年には、広州で清朝軍が降伏後、平英団という農民の武装組織がイギリス軍を包囲攻撃します。この平英団の闘争は、その後の中国の民族運動に大きな影響を与えました。
道光帝は動揺し、林則徐を罷免した後外交交渉によって停戦を図ろうとしました。
1842年8月、南京条約が締結されアヘン戦争が終結します。
(南京条約の締結)
この条約では以下の内容が締結されました。
南京条約では、公行の廃止や新たな貿易港の開港により制限貿易やめさせ、関税の協定や対等な国交の樹立、賠償金1800万両の支払いなどが決まりました。
1843年7月には五港通商章程が締結され、イギリス側の領事裁判権が認められます。
領事裁判権とは、中国国内で、イギリス人が起こした諸問題に対して、中国国内の法律ではなく、イギリスの法律のもとイギリスの領事が裁判を行うというものです。このように自国以外で自国の法律を行使できる特権を治外法権といいます。
さらに1843年10月には虎門寨追加条約が締結され、イギリスの領事裁判権の確認と輸出入税率をイギリスが決定し、開港場の土地租借と居住権、イギリスの片務的最恵国待遇が決まります。
この時決まった輸出入税率の決定権をイギリスが持ったことにより、これ以降、中国はイギリスとの貿易の際に税率を自由に決めることができなくなり、現実に関税自主権を失うことになりました。また、同時に決められた片務的最恵国待遇とは、中国側にだけ課せられた義務で、他の諸外国との貿易の際に関税を決める際、イギリスをもっとも優遇(恵まれた条件)しなければいけないという特権でした。
南京条約以降、その他の欧米各国も便乗し、1844年にアメリカが望厦条約、フランスが黄埔条約をそれぞれ締結し、その内容はイギリスの南京条約とほぼ同じもので、最恵国待遇や領事裁判権も含まれていました。
欧米と清が結んだ一連の条約は不平等条約であり、これ以降清は国力の衰えを背景に、さまざまな不平等条約を認めさせられるようになっていきます。
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