中世ヨーロッパにおける「都市」の成立
中世ヨーロッパは、領主と領民の封建的関係が強い社会でした。
封建社会の中で、農業生産の発達とともに、それまで物々交換だった自給自足的生活に、
余剰農産物が出てくることになりました。
余った農産物は、次第に商人に流れていき、商業の発達を促します。そして、その流れは貨幣取引を中心とする貨幣経済の普及につながります。
また、さまざまな地域をむすぶ通商路が確立し、商業が活発に行われるようになります。遠隔地商業というものです。
遠隔地商業には、十字軍以降発達した北イタリア地域と地中海東岸地域との
東方貿易(レヴァント貿易)や、北ヨーロッパを中心とした
北海・バルト海貿易などがありました。
中世都市は、このような貨幣経済と商業の発達に伴ってヨーロッパ各地に成立していきます。成立・発展の際には、封建領主の支えが必要でしたが、実力のある都市ほど、次第に自治を目指す動きが出てきます。
封建領主からの自立
11世紀から12世紀にかけて、都市が封建領主に対して自治権をめぐる交渉をするようになりました。
封建領主は、次第に交渉に応じ、市場支配や貨幣の鋳造、交易、自治などの権利を特許状に記し、徐々に権力を分け与えるようになります。
こうして、ヨーロッパの各都市は封建領主から自立するようになり、「自由」を獲得していくことになります。
特に、ドイツの帝国都市(自由都市)や、北イタリアのコムーネ(自治都市・都市共和国)などは、完全な自治権を獲得していました。
中世都市の「自由」とは
現代の感覚で考えると、自由とは、個人の自由を思い浮かべると思いますが、中世都市の「自由」は、封建領主の支配から逃れた状態を指しました。
そのため、都市内の市民はさまざまなギルド(商人ギルドや職人ギルド)などの規制を受けており、個人の自由はなく、身分制度はそのまま維持されていました。
都市の自治権獲得は、ヨーロッパの封建社会における大きな変化でしたが、あくまで封建領主が都市に対する封建的特権を与えたにすぎず、都市内の個人の自由はほとんど無かったと言えます。