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宗教改革4 ~テューダー朝ヘンリ8世の国王至上法(首長令)とイギリス国教会の成立~
著作名: エンリケ航海王子
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イギリス国教会をめぐる争い

イギリス国教会の成立と同時に、国王至上法によって国王は教会の首長をもかねるようになります。また、国王の離婚問題から成立したので、教義や儀式はカトリックに依存していました。
ヘンリ8世の死後、エドワード6世(在位1547~53年)が即位しますが、彼の時代にカルヴァン派の教義を取り入れた一般祈祷書が定められ、新宗教としての立場が明確になります。ただこの時点でも、教義はカルヴァン派、儀式はカトリックといった折衷様式が取られていたようです。

エドワード6世の死後即位したのが、ヘンリ8世と最初の妻キャサリンの子メアリ1世(在位1553~58年)です。

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(メアリ1世像)

メアリは熱烈なカトリック信者でした。カトリック教国スペインの血を受け継いでいたこと、スペインのフェリペ2世と結婚したこともあり、彼女はイギリスにカトリックを復活させるため、徹底的な非カトリック教徒の弾圧を行います。

彼女についた名前が「血のメアリ(Bloody Mary)」。凄惨な弾圧の結果、民衆から呼ばれたそうです。ちなみに、ウォッカとトマトジュースのカクテルの名前は彼女の呼び名に由来するとも言われています。


エリザベス1世の即位とイギリス国教会の定着

メアリ1世の死後、混乱した状況の中即位したのがヘンリ8世とアン=ブーリンとの子エリザベス1世(在位1558~1603年)です。

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(エリザベス1世像)

エリザベスは、国内の混乱を収め、1559年に統一法という法律を発布します。
統一法の制定によって、一般祈祷書の使用を義務付け、儀式や礼拝の形式を定めました。
これにより、イギリス国内の宗教騒乱は幕引きとなり、イギリス国教会が国内に定着するようになったのです。

おわりに

イギリスの宗教改革は他の地域と異なり、政治色の濃いものでした。この国王の離婚問題から発展した国教会の成立が、のちのイギリスの歴史に大きな影響を与えたことはとても興味深いことですね。



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